『食卓にあがった放射能』 【 お勧めの本 】

著者の高木仁三郎さんについて知ったのはつい最近のことです。日曜日、民放のテレビ番組で、反原発の「市民科学者」として紹介されていました。放送の終りころ同郷の上州人(群馬県民)であると分りました。
高木仁三郎さんは、1938年(昭和13年)群馬県前橋市の開業医の家に生まれ、東京大学理学部化学科を卒業(核化学・理学博士)。日本原子力事業(NAIG)総合研究所核化学研究室に勤務。東京大学原子核研究所助手、東京都立大学助教授。ドイツのマックスプランク核物理研究所客員研究員を経て、プルトニウムの研究から核化学の矛盾に気づき「過ちを改むるにはばかる事なかれ」と反原発に転向。1974年、プルトニウム問題を考える自主グループ「プルトニウム研究会」を組織。翌年、原子力業界から独立したシンクタンク・原子力資料情報室を設立、代表を務めた。
「市民科学者」として多くの著作と、反原発運動で生涯を貫いた。1997年には、物理学のノーベル賞といわれるライト・ライブリフッド賞を受賞したが、2000年10月に大腸ガンで死去。
(以下は百科事典・ウィキペディア引用・・・『地震による原子力災害への警鐘 1995年、『核施設と非常事態 ―― 地震対策の検証を中心に ――』 を、「日本物理学会誌」に寄稿。「地震」とともに、「津波」に襲われた際の「原子力災害」を予見。「地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」 するとして、早急な対策を訴えた。福島第一原発 について、老朽化により耐震性が劣化している「老朽化原発」であり、「廃炉」に向けた議論が必要な時期に来ていると (1995年の時点で) 指摘。 加えて、福島浜通りの「集中立地」についても、「大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶する」と、その危険に警鐘を鳴らしていた』・・・引用終)
すでに16年前、今回の原発事故を予見した指摘を著作、運動の中で述べ、その通りの事態となっている。
番組の中で、未亡人が語っていましたが、東京大学、その後の組織は国の体制・中枢の研究機関にいたため、口では云えない迫害にあったという。「見知らぬ紳士が訪ねて来て、莫大な金額を提示し、論文、書籍、資料などの著作権を買い取る」精神的、肉体的にも体調を崩していた期間「一切の運動、著作活動などから引退する旨のニセ手紙が知人・友人・運動関係者などに送りつけられた」「自宅の近くで危うく交通事故に遇いそうになった」等々、サスペンス映画、小説にあるような事が現実にあったとインタビュー中で言っていました。
感じるのは、昭和30年に原発立法化を推進し今日の事態を招いた元凶が、当時「青年将校」後に「風見鶏」とも云われた政治家・中曽根康弘。反原発の旗手が高木仁三郎という二人が奇しくも「上州人」という因縁です。高木先生の墓は本人の希望により、上州人が「心のふるさと」と仰ぐ赤城山の副峰「鍋割山」に眠っているそうです。
●『新装版・食卓にあがった放射能』
高木仁三郎・渡辺美紀子共著だが、チェルノブイリ原発事故を解説し、その教訓と日本で原発事故が起きた場合のシュミレーションと食品汚染の影響や対応を分かりやすく書いてある。とかく、放射能や放射線の単位や意味は一般市民には分かりにくし、今日それで混乱や戸惑っている人は大勢いると思う。放射能にどう備えるかという点においても、今までいろいろな情報が錯綜して混乱している頭を整理するに適した一冊です。
★定価、 1,400円(+税) 発行・七つ森書館
●『新装版・反原発、出前します』
高木仁三郎講義録と副題がつく本書は、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故を踏まえ、「市民科学者」として一般の人に分かりやすい言葉で、原発についての講義をした記録をまとめたものです。本物の原子物理学者が「原子力発電」「原発事故とその影響」「核燃料サイクル」「六ヶ所村計画」「エネルギー問題」について語ったものです。有能な反原発のジャーナリストが書いた著作とは一味違う内容で、原発の基本的なことを理解するのに非常に適切なものと思います。
★定価、 2,000円(+税) 発行・七つ森書館
★著者・高木仁三郎については、本文中に記述されていますから省略。
著作・『現代の博物誌 プルートーンの火』(現代教養文庫)『科学は変わる 巨大科学への批判』(東洋経済新報社)『スリーマイル島原発事故の衝撃 1979年3月28日そして… 』(社会思想社)『いま、普段着の科学者として考えること』(オルターナティブを考える会)『危機の科学』(朝日新聞社)『プルトニウムの恐怖』(岩波新書)『元素の小事典』(岩波ジュニア新書)『核時代を生きる 生活思想としての反核』(講談社現代新書)『ヨーロッパ反原発の旅』(原子力資料情報室)『原発事故 日本では?』(岩波ブックレット)『市民科学者として生きる』(岩波新書)以下、多数につき省略。
『地球温暖化論に騙されるな!』 【 お勧めの本 】

本書は以前に『ほんとうの環境問題』という書籍と一緒に紹介済みの本ではあるが、再び取り上げたのは原発推進の利権グループがその理由として「地球温暖化にとって原発はクリーンエネルギー」という詐欺的なキャンペーンを張ってきた経緯がある。二酸化炭素を犯人に仕立て上げ、原発ビジネス推進の口実や、二酸化炭素の排出権売買のビジネスモデル等、うさん臭い仕組みを構築してきた論理をあばき、論破するまともな科学者の書いた一書である。
IPCC (専門家でつくる気候変動に関する政府間パネル)という国際機関があります。地球温暖化理論の権威付けとして国際政治および各国の政策に強い影響を与えているが、著者は『地球温暖化を主張する人たちは、IPCCという国際的な研究機関の見解を信じ込んでいるようだ。国際的な研究機関の権威は確かなものだろうが、そんな権威に疑いを持たない科学者は何のために研究しているのだろう。私は地球温暖化論について根本的に間違っていると言っているのだ』と述べています。
著者の立場は、「地球惑星科学」という純粋な科学的見地から地球温暖化の誤りを指摘している。『私の寒冷化論はデンマークの宇宙物理学者、スベンスマークが提案した「宇宙が地球の気候を支配する」という理論、いわゆるスベンスマーク効果を発展させたものだ。スベンスマークは過去50年~15年のデータに基づいて、宇宙線が雲を作るという理論を提案した。私は彼の理論を過去1000年の歴史と気象データに基づいて検証した。すると、宇宙線の量と気象変動の関係は合致することが証明できたのである。宇宙線の効果に加え、太陽活動周期、地球磁場、火山他21世紀の気候予測に応用すると、地球の寒冷化は間違いないという結論に行き着いたのだ』とあります。
他の資料でも、IPCCの権威に屈しない骨のある他の科学者、カナダ人地球物理学者ノーム・カルマノビッチ博士等や大勢の科学者が「実証データは、温暖化と寒冷化のサイクルが二酸化炭素の排出レベルとはまったく無関係に起きていたことを示している」ということを証明している。
本書は、地球温暖化学説を政治や経済に利用してビジネスモデルの理論付けとするような恣意的なものではなく、純粋に科学的な立場から主張を展開している。その結果として温暖化ビジネスや原発推進の口実に対して反論する事となっている。日本人は、国際機関というと「公正中立」と思いがちだが、すべての国際機関は設立メンバーやメンバー国の本当の目的はヴェールに隠されている。IAEA(国際原子力機関)もその例にもれない。国連を見る通り加盟国の多数決では何も強制力はない。常任理事国で決まったことしか強制力はなく、その内一国でも反対すれば何も決まらない組織である。だから「公正中立」は建前でしかないことがわかる。
人は地球温暖化にしても、いろいろな形で脳に刷り込まれると反論に対して正常な判断力を失いがちである。本書のように原発反対という立場でなく、純粋に科学的態度で書かれた内容を吟味して、確り読み取って頂けると幸いと思い推薦するものです。
●『地球温暖化論に騙されるな!』
★著者・丸山茂徳
1949年徳島県生まれ。徳島大学卒業後、金沢大学大学院修士課程、名古屋大学大学院博士課程修了。アメリカスタンフォード大学客員研究員ほかを経て、1989年東京大学助教授となる。1993年より東京工業大学理学部教授、のちに同大学院理工学研究科教授。アリゾナ大学客員教授。地質学者で専攻は地球惑星科学。
1993年地球のマントル全体の動き(対流運動)に関する新理論「プルームテクトニクス」を打ち立て、学会に衝撃を与える。同理論で日本地質学会賞受賞。2000年には米国科学振興協会(AAAS)フェローに選ばれる。2006年紫綬褒章受章。世界に知られた地質学者の権威である。
★定価、 1,400円(+税) 発行・講談社
『医師がすすめる放射線ホルミシス』 【 お勧めの本 】
「福島原発事故」以来、放射能に関する報道が日常的になってきました。私たち日本人は昭和20年・長崎・広島における原子爆弾の被害を受けた関係で、放射能に対して悪いイメージが染みついています。そして、原発におけるスリーマイル島(炉心溶融事故・1979年)およびチェルノブイリ原発事故(運転中の暴走・1986年)が、更に世界中にその危険性を暴露してしまいました。
加えて今回の「福島原発事故」で放射能拡散により大きな被害を蒙っているわけですからますますイメージが悪くなっています。同じ放射能を浴びるのに原子爆弾は「被爆」と言い、原子力発電の事故では「被曝」といって分けていますが、原爆の方は大量殺人兵器ですから、強大なエネルギーを一挙に爆発させて破壊を意図しているので「爆」であり、原発は意図しない事故ですから、放射能を浴びるのに場所、時間、距離などで濃淡の差が出るし、浴びた条件により個人差が出るため「曝」になります。
原子力発電による被曝は、原子爆弾と違い直ちに殺傷、火傷などの被害に遇うわけではありません。事故収束のために働く作業員や、被災地区の住民は数年後とか数カ月後とか時間の経過と共に発症するところに陰湿なものを感じます。
放射能は、放射線の種類によって半減期や安全量が違いますから、現在マスコミ報道にも混乱がみられます。従来、放射線に安全量はないといわれてきましたが、その実験データは1927年、米国の遺伝学者H.J.マラーによるもので、ショウジョウバエを使ってオスのハエにX線を照射すると、その子孫のハエの生存率を低下させる突然変異の頻度がX線の量に直線比例するという直線法則を発見し、後にノーベル賞まで貰いました。国連の国際放射線防護委員会(ICRP)もこれを採用し「放射線は少しでも危険である」という見解をとっていました。
しかし、マラーが実験したショウジョウバエ精子の細胞は、もともとDNA修復機能のないハエだったので、そもそも実験の条件が間違っていたのです。1927年当時は遺伝子の解析が全く進んでいない時でしたから無理もありませんが、間違った実験結果が長年科学の常識として科学・化学者を洗脳していたのです。このようなことは塩にも云えることで、1953年、アメリカのネーメリー博士の行った実験です。ダイコクネズミ10匹に、1日20〜30g、通常の20倍の食塩を加えたものを食べさせ、ノドが渇いて飲む水は1%の食塩を加えたものとした。半年後に、10匹のうち4匹が高血圧になった。それを塩が高血圧の原因と発表した。以後、「塩は高血圧の原因」が一般常識となったが、もともと実験の設定条件に無理があり、間違った結論が現在でも通用している好例です。
ところで、放射能に関してこの定説を覆したのがNASAの医学顧問でミズーリ大学の生命科学教授であったトーマス・D・ラッキー博士です。宇宙飛行士は2週間もの間、地球の何百倍という宇宙線(放射線)を浴びるが、身体にとってどのくらいのダメージになるのか、「人体への放射線の影響」を10年にわたり調査したのです。予想に反してその結果は「宇宙飛行士たちは宇宙に行くと元気になって帰ってくる」というものでした。
微量放射線は人体に対して刺激として働き、生体を活性化させ、生命活動にとってはかえって有益である——米国保健物理学会「Health Physics」誌(1982年12月号)に論文発表され、微弱な放射線による人体への効果は、ギリシャ語の「horme(刺激する)」より「放射線ホルミシス」と名付けられたのです。
それ以降、世界で放射能の安全性に対する検証の見直しが始まりました。
1985年8月、カリフォルニア大学医学部、米国エネルギー省、電力研究所共催「放射線ホルミシス専門家会議」
1988年、日本の電力中央研究所の依頼で岡山大学医学部でマウス実験開始。
1989年、岡田重文・放射線審議会委員長他、19名の学者・専門家で研究委員会発足。
1995年、秋、サンフランシスコで原子力学会の放射線臨時学会で、カリフォルニア大学医学部・マイロン・ポリコープ博士の「低レベル放射線規制の誤りを正す」特別講演。
1997年、スペイン・セビリアで、WHO (世界保健機構]とIAEA(国際原子力機関)共催の専門家会議では参加者との間に激論が交わされる。
2001年8月、フランシス医科学アカデミーのモーリス・チュピアーナ博士は「自然放射線の10万倍の線量率、つまり10ミリシーベルト/時以下の放射線による損傷に対して、DNAは充分修復され、修復不良のDNAをもつ細胞を除去する人体細胞の防御活動まで考慮すれば、自然放射線の10万倍以下の線量率であれば、長時間における照射でも、人体細胞はパーフェクトで、ガンなどの発生はない」という歴史的な発表をして、後にマリー・キューリー賞を受賞。
2006年、米国アカデミーで報告されたヴィレンチック博士の論文では「放射線に最も弱い精子細胞の実験でDNA修復限界は自然放射線の三千万倍(6000ミリシーベルト/時)であること」が確かめられました。
日本では、1985年電力中央研究所理事・特別顧問であった服部禎男先生がトーマス・D・ラッキー博士の論文を知り、アメリカ電力研究所に質問、責任ある回答を求めました。これがキッカケとなって国内で「放射線ホルミシスのプロジェクト研究」が始まったのです。そして平成19年(2007年)医療としての「放射線ホルミシス国際シンポジウム」がホルミシス臨床研究会主催で東京理科大学において開催されました。
平成20年(2008年)からは「第1回・放射線ホルミシス講演会」として専門家、研究者、臨床医師等が集まり、ホルミシス臨床研究会主催で東京理科大学において毎年開催されています。本年も7月24日に「第4回・放射線ホルミシス講演会」が開催予定です。
ホルミシスとは、ある物質が高濃度、あるいは大量に用いられた場合は有害であるのに、低濃度、あるいは微量に用いられれば逆に有益な作用を果たす現象のことです。放射線は大量に浴びると放射線障害を起こし、ひどい場合は死に至ります。しかし、放射線も低線量浴びた場合は人間に有益な作用があり、従来のX線やCTスキャンの診断でなくどのように治療に応用されているのかを示しているのが本書の内容です。
日本でも古くから民間で温泉療法として「放射線ホルミシス」は利用されてきました。秋田県・玉川温泉、鳥取県・三朝温泉のほか、ラジウム温泉、ラドン温泉などといわれるところが全国各地にあります。欧州・オーストリアのバードガスタインでは付属する病院で医師の管理・指導のもと天然ラドン坑道で放射線ホルミシス療法を長年行っている施設があり、世界中からさまざまな患者さんが訪れています。
日本の医療機関では「ホルミシス臨床研究会」に属する会員医師の医院や病院で放射線ホルミシス療法が行われています。ホルミシスルームと呼ばれる低線量の放射線を出す鉱石でつくった部屋またはボックスの中に入り、さまざまな疾患の治療が行われています。安全で高い効果が期待できる代替医療として、取り入れる開業医が徐々に増えています。
今、放射能や放射線はその有害面だけ報道されていますから無理からぬことですが、物事には東洋医学の診断法にあるように「陰陽・虚実・表裏・寒熱」という両面から診ないと正確な判断ができません。例えば毒薬のトリカブトも熱で加工して微量に使うと漢方薬では「附子」(ぶし)といって体を温める優れた薬となります。猛毒の砒素も、枇杷の葉に含まれるくらいの微量ですと「お灸枇杷療法」ではガンを治す力を発揮します。放射線もこれから研究が進むに連れ、さまざまな作用が解明されると思いますが、世界における医療の現況を知る良書と思います。また、放射能・放射線を正しく認識するためにも、この時期にあえて紹介する次第です。
★「医師がすすめる低放射線ホルミシス」LOCUS MOOK
放射線ホルミシス臨床研究会編 (現在中古品のみ)
★「医師がすすめる放射線ホルミシス 2」LOCUS MOOK
放射線ホルミシス臨床研究会編 1,400円(税込)
『死の同心円』長崎被爆医師の記録 【 お勧めの本 】

この本は昭和47年に講談社から一度出版されたが何故か廃版になっていたらしい。私が目にしたのは35年ほど前、ある雑誌の抜粋版を読んだのだか、一度全部を読了してみたいと思っていた本である。
日本は世界唯一の原爆による被爆国としていろいろな記録が残っていなければならないのだが意外と少ない。「検閲 1945‐1949―禁じられた原爆報道」という本にも書かれている通り、終戦後占領軍の検閲・発禁処分によってボツになった手記や記録が数多くあるのではないかと想像できる。
本書は昨年(平成22年)復刻版として出版されたが、医と食について見識ある医師だからこそ書き残せた貴重な人類の被爆記録として永く後世に伝えるべき書と思う。著者の秋月辰一郎先生は、被爆当日、爆心地から1500メートルの浦上第一病院(現聖フランシスコ病院)で診療にあたっていた。終戦8月15日間近の8月9日に原爆は長崎に投下された。時間的にみても日本が「ポツダム宣言」を受諾する連絡が行ってるのを連合国側は当然知っていた。それでいながら急ぎ原爆を投下したのは「白人優越、有色人種蔑視」の思想から来た新殺人・人体実験であったことは歴史上明らかです。
記録された内容は胸打つものですが、私が小学生(終戦時)のころ「長崎・広島には百年間ペンペン草も生えない」という風評を聞いていました。35年前雑誌の抜粋版を読んだとき疑問を感じたのは、その年の秋には病院の庭で自給のために栽培した秋なすやカボチャが異常なほどの大きさになった事でした。もちろん秋月先生の指導で収穫物は、塩漬け、みそ漬けなど塩分の濃い食品として病院で生き残った人々が食べました。被爆後、先生は病院の職員・医師・患者等すべての人に「爆弾を受けた人には塩が好い。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩辛い味噌汁を作って毎日たべさせろ・・・そして、甘いものは毒だから絶対避けろ・・・」と指導し、先生のグループの人々は、原爆症の症状が軽くなったり、死を免れた人が大勢いました。
当時の塩は、かつて日本の海水から作られた「塩田の塩」ですから現在の塩とは比べ物にならない良質なものです。同時に日本という国土は神の僥倖に恵まれた国と感じます。記録では被爆後の9月、三度の豪雨と台風により放射能を含んだ大量の土砂・岩石が海に洗い流され、浄化された事ではないかと思います。9月2~3日の300㎜という記録的豪雨、9月16日の暴風雨で希有の大型台風だった「枕崎台風」で、そのコースは不思議なことに長崎から広島を通過して行ったと言います。記録では、広島は長崎以上の暴風雨であったそうな。そして3度目の暴風雨(台風)も襲来という過酷なものだったという。
それに比べると、アメリカの原爆実験場であったアリゾナやネバタの砂漠地帯は雨も降らず、いまだに高濃度の放射能が残留していると言われています。その地帯で長い間映画ロケに携わった西部劇俳優、ジョン・ウェインは、死因が放射能障害とささやかれました。また、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故では、既に25年近く経つのに発電所はコンクリートに覆われ、周辺は無人化して近隣の住民は故郷へ戻れず、いまだに放射能障害による発病が後を絶たない状態です。
チェルノブイリ原発事故で、日本は多大の援助を行い、被爆者の治療にも貢献しました。当時の報道で援助物資の中に大量の『味噌』が贈られたことは一部のマスコミが取り上げましたが、秋月先生の被爆体験が大いに貢献している事を深読みして解説したマスコミは少なかったように思います。
被爆者にとって過酷・無情な豪雨や台風が「災い転じて福」となったわけですから天祐ともいえるのではないでしょうか。爆心地から500メートル以内ではほとんど即死、1500メートル以内では爆死や負傷者の数や原爆症の患者が投下後一週間を過ぎてどんどん増えていったそうですが、9月16日の台風以後、急速に発症数が減少したのは「神風」(台風)のお蔭と著者も述べています。(長崎の原爆死没者数は14万9千人)
秋月先生は、一生を被爆者医療と原爆反対運動に身命を捧げ、自身被爆しながら89歳の長命を保ち、数々の被爆体験、被爆資料を後世に遺した。本書もその内のひとつである。この記録は過去の出来事でなく、昭和20年3月10日、東京の下町大空襲で焼夷弾によって非戦闘員の都民が8万人も爆死・焼死した事や、ベトナム戦争で空爆・ナパーム弾によるベトナム人の焼き尽くし作戦、現在進行中のアフガン戦争で岩石を貫き洞窟で爆発する新型爆弾など、今も形を変えて継続している戦争犯罪です。
日本人だけでなく世界中の人々が読むべき記録で、核爆弾被爆の最初にして最後の人類の記録にとどめて置くべき一書と思います。
★著者・秋月 辰一郎(あきづき たついちろう)
大正5年(1916年)長崎市生まれ。昭和15年(1940年)京都大学医学部卒、長崎医科大学 放射線科より昭和19年(1944年)浦上第一病院へ赴任、医長として勤務中に被爆。
昭和28年(1953年)聖フランシスコ病院に復帰。終生同病院を離れず。
★定価、1,600円(+税) 発行・長崎文献社(長崎名著復刻シリーズ002)
本書は、ここをクリック、長崎文献社WEBサイトから直接購入できます。
『祖師に学ぶ禁煙の教え』 【 お勧めの本 】

昨秋にタバコの値段が上がりましたが、マスコミの視点は買いだめ騒ぎとか、これを機会に禁煙できるとか出来ないとか、値上げ後の税収減とかに集まり、本当は一番問題な受動喫煙や喫煙そのものの健康被害に全く触れていません。
ここ十数年の間に禁煙意識は浸透し、公共の場所や交通機関などで喫煙者は肩身が狭い思いをするほど広がって来たが、本当にどれくらい健康被害が個人個人や社会に及んでいるかを説明したものはまだ非常に少ないのが現状です。
本書の共著者は、ふたりとも僧職で寺の住職という共通点があるが、来馬明規(くるま・めいき)さんは、東京・巣鴨「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺住職にして内科・循環器・禁煙指導専門医ということである。千葉公慈(ちば・こうじ)住職の宝林寺も曹洞宗の禅寺である。
曹洞宗の開祖・道元禅師の時代には、まだタバコは日本に入ってなかったのでその害が説かれることはなかった。ただ「五辛」(にんにく・にら・ひる・らっきょう・ねぎ)等の臭気の強い野菜は修行のさまたげになるといって禁じられていた。しかし、現代判明してきたタバコの害は「五辛」の比ではない。江戸時代初期、それに気がついたのが曹洞宗中興の祖といわれる卍山道白禅師であり、『鷹峰卍山和尚廣録』には喫煙の不作法ばかりでなく、医学的見地から「受動喫煙」の害まで説いている。また同時代の面山瑞方禅師も修行上の見地からその害を説いている。
インゲン豆の名前で有名な隠元禅師は戒めに『悪臭を放つ煙草を吸い、吐くことで、喉を汚し、まるで口から炎を吐く鬼のようだ。昔、お釈迦様がお住まいになった霊鷲山(りょうじゅせん)に煙草が生えていたなら、五辛(ニンニク等の葷草)を禁じただけでなく必ず煙草を禁じたであろう』と書き残している。
欧米先進国では、タバコ製造は民間会社のため、市民運動による裁判で負け続け、肺ガン、舌ガン、咽喉ガンや呼吸器病などの健康被害情報が行き渡った。知識層、エリート、富裕層の喫煙率は低下し販売ターゲットは自国の貧困層や若年層である。また、タバコ規制の甘い国や、低開発国に対する売り込みも激しい。
日本のタバコ産業は徴税手段であり、実質国の管理下にあるから、国民の不健康・医療費増大、環境負荷等の情報も知らされず、例えば愛煙家で著名な作家や劇作家のガンの真因が煙草であることも何故かマスコミ等で公表されることはない。
煙草の害は国家経済では医療経済研究機構の平成13年度調査によると、喫煙者の超過医療費1兆2千9百億円、間接喫煙者146億円、喫煙による労働損失5兆8千億円、火災による損失2千2百億円、合計7兆3千2百46億円と推計される。タバコ税年間2兆3千億円を得るための社会コストの高さに唖然とする。
更に葉タバコ栽培では、アジア・アフリカ等の途上国の生産過程にも問題がある。アフリカのマラウイ共和国では葉タバコの収穫に従事するのは子供や若い女性がほとんどだが時給一円五十銭ほどで働かされ、学校にも行けず、労働を通して皮膚から吸収されるニコチン中毒(緑タバコ病)に苦しんでいる。途上国の小児労働や人権侵害により作られた葉タバコは、もちろん日本たばこの原料にもなって消費されている。
最近まで軽視や無視されてきた喫わない人の煙による「残留受動喫煙」の健康被害が明らかになってきているが、江戸時代の禅僧が指摘しているところにその先見性がみられる。タバコの健康被害を知るよい手引き書としてお勧めします。
★著者・千葉公慈(ちば・こうじ)
千葉県宝林寺住職・ 駒沢女子大学人文学部日本文化学科准教授
1993年、駒澤大学人文科学研究科仏教学専攻・博士後期課程満期退学
駒沢女子大学日本文化研究所、仏教文化センター研究員を経て2004年より現職
専門分野・インドチベット仏教、仏教教理史
★著者・来馬明規(くるま・めいき)
東京都とげぬき地蔵尊・高岩寺住職、日本医科大学心肺蘇生フォーラム
1987年日本医科大学卒、第一内科助手、東京医科歯科大学難治疾患研究所
米国エモリー大学医学部等を経て2005年より現職
日本禁煙学会評議員、禁煙指導専門医、救命救急法指導員
★定価、1,200円(+税) 発行・㈱仏教タイムス社
『日本で一番まっとうな学食』 【 お勧めの本 】

今日本の家庭でまともな食事を摂っている家がどれくらいあるのだろうか。戦後始まった学校給食は、食料不足の時代、学童の栄養摂取や家庭の負担軽減を考えて開始され、戦後世代の我々はその恩恵に預かったひとりである。しかし、当時学校給食は家庭の食事の代用とか家庭で足りないものを補強する食事という意味合いがあったように思う。
しかし、現在はまともな料理を作る家庭が減り、学校給食のほうがよほどマシという家庭が増えてきているという。国で今頃「食育」の大切さを掲げ、教育の場で取り上げて行こうとしているが、余りに遅きに失した感があり、どれくらい実効性があるのか疑問符がつく。
本来「食育」は家庭において暮らしの中で代々受け継がれて行くべきものである。日本の食文化が崩壊しようとしている現在、家庭での「食育」もさりながら、学校給食における「食育」の取り組みも重要になって来る。ただ、学校給食では現場での取り組み方に落差があるのがひとつの難点である。
本書は、農業流通コンサルタントで
出身校で埼玉県飯能市の山中にある「自由の森学園」という独特の教育方針をもった高校の学校給食の黎明期から現在に至るまでの経緯を紹介している。学校の中に食生活部という組織があり、中高生は何を食べるべきかを議論し、全国の食材を選りすぐり、その食がどのような意味をもつのか生徒と対話してきたという。編著者のこの学食から私の舌は良質の教育を受けていた、という感想は、現在携わっている仕事と考え合わせると、多大な影響を受けていたといえる。
もとより生徒の自主性を尊重し、体育の時間に和太鼓や郷土の民舞を教え、染織や木工といった表現にかかわる授業に力を入れた学校のカラーは非常にユニークなものである。当然、授業の中に食に関する学びも入っているというから「食育」に関する先駆的なものがある。といって最初から順風満帆で行ったわけではなく、いろいろな試行錯誤の上にノウハウを蓄積来た経緯が書かれている。
本書は全国の教育・食育関係者のみならず、普通の家庭のお母さんにも非常に参考になることが盛りだくさんの内容である。本書によってまともな家庭食、まともな学校給食を考えている方々のお役に立つことは間違いないといえる。
★編著者・山本謙治
1971年愛媛県生まれ。慶応義塾大学環境情報学部、同大学院修士課程卒。
在学中に、畑サークル「八百藤」設立、キャンパス内外で野菜を栽培する。
㈱野村総合研究所、青果流通の㈱シラフを経て、2005年㈱グッドテーブルズ
を設立。農産物流通コンサルタントとして活躍中。
著書『やまけんの出張食い倒れ日記 東京編』アスキー社
『実践、農産物トレーサビリティ』誠文堂新光社
★定価、1,500円(+税) 発行・家の光協会
『高カルシウム作物をつくるピロール農法』 【 お勧めの本 】
どんな国でも『農業』が国の基であることは古今東西変わりがない。食料を他国に依存することが国家の滅亡につながることは歴史上暇がないほどその例を挙げる事が出来る。古代ギリシャの時代、哲学者プラトンが、弟子のアリストテレスに『国家にとって一番大事なものは何か? 』と質問すると『当たり前だろう 食糧だ。食料を自国で確保することが 国の一番最初にするべきこ
と』といった問答で、国家経営の基幹であることの認識があった事がわかる。(現代のギリシャはそれを忘れた為に今年、事実上国家倒産の憂き目にあっている)それゆえ現代の世界各国では、先進国ほど農業を保護するのが常識となっている。
時折、貿易に関して国際的な問題が提起されるが、国民にはイマイチどんな事なのか分かりにくい事が多い。このところ報道で取り上げられているTPP(環太平洋経済連携協定)など、その卑近な例である。それにしても某閣僚の記者会見で「農林水産業は日本のGDPで1.5%を占めるに過ぎない。そのために他の98.5%が犠牲になっている」というのは、不見識も甚だしい、政治の要諦を知らない不勉強な発言である。
しかし、政治家だけでなく国民も、食べ物は「安ければよい」という市場経済の原理でのみ選択してきた傾向がある。そうすれば、先頃の農薬まみれの輸入野菜や、毒ギョーザ事件のように食べ物の品質は低下するに決まっている。それを進めてきたのも、実は消費者自身であることに気づかねばならない。
日本には気候風土に育まれた農法が各地にあって、長年お米や野菜が栽培されてきた。最近では「有機農法」(オーガニック作物)が普通のスーパー店頭にも並び、安価よりも、安全や高品質を意識する消費者も増えて来た。
本書は「〇〇農法」と称する数多くの農法の中でも従来の「有機無農薬農法」とは一線を画すものであるが、強いていえば「微生物応用の農法」であるといえる。ピロール農法は、土壌中のシアノバクテリア(ラン藻類)の増殖を促すことでミネラルの豊富な美味しい作物を作る方法です。著者・酒井弥(みつる)理学博士は、このシアノバクテリア(ラン藻類)の理論的な研究・開発をした人物で「北陸のエジソン」と称されていました。また、ピロール農法資材が開発・実用化されたのは、全国ピロール会代表の黒田与作氏をはじめ、福井県農業試験場・寺島利雄農学博士等の技術開発・普及運動の協力があって確立されたものです。
この農法の画期的な点は、酸性雨に強く、炭酸ガスを排出せず「環境保全型」農法であり、農薬などを分解する菌も検出されているスグレモノです。従来の有機農業では、切り換えてからも土壌中の残留農薬が分解され、無くなるまでは年数が掛かりますが、この農法ですと実施してすぐ「無農薬」が標榜できます。従来の「微生物農法」は、一つの菌で全国のいろいろなタイプの農地に対応させようとしたところに無理があり、不成功や失敗に終わることが多かったのです。その点、キメの細かい資材の配合により作物別や土壌別の対応が可能なことです。
もちろん、作物も通常の栽培作物にはないビタミンB12 が含有され、一般の作物よりカルシウムやマグネシウムが20~30%も多く、キパワーソルトと同じく酸化電位型と反対の還元電位型の作物といえます。当然、従来にない美味しさとの定評があります。
ピロール農産物は、今は知る人ぞ知るという段階ですが、消費者(国民)がもっと流通に参加し、購入し、量を拡大してて普及に理解と力を注ぐ意識の変革が迫られています。日本の農法の質の高い開発力がある限り、外国に依存することは無くて済むと思いますが、それもこれも国民が食料問題をどう捉えるかに掛かっています。詳しい農法や作物の流通には、ぜひ一冊購入して手元に置くべき本です。
★『高カルシウム作物をつくるピロール農法』
★著者・酒井 弥(みつる)
(昭和11年、福井県生まれ。昭和36年大阪大学理学部大学院修士課程卒。昭和38年、大阪大学産業科学研究所・理学博士。昭和41年、文部省在外研究員としてカリフォルニア大学留学。昭和49年、アルバータ大学石油化学研究所講師。昭和51年、花筐酒造株式会社代表取締役。昭和52年、酒井理化学研究所主宰)
★定価、 1476円(+税) 発行・農文協
『呼吸力で病気に強くなる』 【 お勧めの本 】
本書の著者・西原克成先生の病気にならない生き方や免疫に関する本は何冊も過去に本欄で紹介している。いつもその重要なポイントは、「口呼吸」「片噛み」「悪い寝相」の三つです。今回の著書は、中でも一番大事な「呼吸」のことについて詳しく、かつやさしく書いてあります。
呼吸は、生まれてから死ぬまで毎日、毎時、毎分しているものですから、つい当たり前の事として余り普段は気にしないと思います。しかし、たかが呼吸、されど呼吸で、私たちは「呼吸」の重要さをほとんど気にしていません。というより全く無関心の人も多いのです。
現代は「難病」といわれる疾患の数が毎年増え、しかも治療法が現代医学ではお手上げといわれて、苦しんでいる人が大勢います。日本人の平均寿命は世界一といわれ、医学は世界でも最先端を行っているといわれている日本で何ともおかしな構図です。
この本を読んで気づくことは、最先端の医学が見落としているのは「人の一番基本的な命の営み」であることです。「息の仕方」「食べ物食べ方」「人生の三分の一以上の時間を過ごす寝方」など、ここを正しく、確り抑えれば、難病といわれるさまざまな病気がいともたやすく治って行くということなのです。
しかし、現代の最先端医療は、そのような事を置き去りにして、新しい薬、エレクトロニクス応用の医療機器、新技法の手術などが病気を治すと信じられています。
本書の一番の眼目は正しい呼吸の役割を知る事と、誤った呼吸習慣の改善です。すべての病気に共通する「原因と結果の法則」鼻(本来の息をするところ)呼吸を口(本来食べ物を噛むところ)呼吸でする事の重大な欠陥など共に、予防と改善方法なども詳しく記述されています。
もちろん正しい噛み方(片噛みの問題)や睡眠(寝相のあり方)方法など、食事の問題など、病気に強くなり、健康な人はさらに向上するノウハウが満載です。医療費が掛からない治療法、健康法として各家庭必読の書と思いお勧めいたします。
★『呼吸力で病気に強くなる』
★著者・西原克成
(医学博士・東大医学部口腔外科教室講師を経て、現在、西原研究所長・日本免疫治療研究会長)
★定価、 1429円(+税) 発行・イースト・プレス社
『日本は世界5位の農業大国』 【 お勧めの本 】
本の表題を見て『本当かな?』と思う人が少なからずいるのではないかと思います。今で私たちの頭の中に刷り込まれてきたのは「日本は先進国中最低の食料自給率」というキャッチフレーズが長年農水省をはじめとしたマスコミの情報によってもたらされて来ました。
私事ではありますが、時々デパ゚地下やスーパーへ買い物に行くと、確かに以前より輸入食品もいろいろ販売されていますが、国産比率39~41パーセントという数字はどうも実態とかけ離れている印象があります。本書の執筆意図「大嘘だらけの食料自給率」ということの内容については「自給率が示す数字と一般的な感覚がかけ離れているのは、農水省が意図的に自給率を低く見せて、国民に食に対する危機感を抱かせようとしているからである」という。
なぜかというと・・・。「窮乏する農家、飢える国民のイメージを演出し続ければならないほど、農水省の仕事がなくなっているからだ。・・・いかにして農水省や天下り先の利益を確保するかという保身的な省益だけの考え方で農業政策を取り仕切っているからである。農水省幹部の頭には、国民の食を守るという使命感などまるでない」という趣旨にもとづいて細かく分析、さまざまな矛盾を暴いている。
農業という国の基幹産業の実態を知るための統計、なかんずく食料自給率をはかるモノサシが「カロリーベース」を用いているのは、世界でも日本だけという。普通はいくつかの統計(モノサシ)を組み合わせて、状況や実態を知るのが常識である。体を病気でないかどうかを診断するモノサシ(検査法)が何種類もあるのも常識である。普通、公式な自給率は「生産額ベース」が世界でも一般的な指標だという。ところが日本の農水省は、採用もせず、他国のデータも集めていないという。
それにしても国民や農家は長い間「カロリーベース」というモノサシで、食料自給率は先進国中最低という魔法にかけられて来たわけだが、農水省はなぜそれを基準に日本の農政をすすめてきたのであろうか。それは、すべて農水省の省益のためであり、日本の農業の実態を表したものではないという。本書は、各種のデータをもとに日本農業の実力と、将来性や、今までの国民や農家だまし数々のテクニックを詳細に示している。今までの何となくもやもやしたものが、霧が晴れるようにすっきりして来た感じはあるが、もっと他のジャーナリストや研究者のさまざまな角度から見た発表が待たれる。
農業専門のジャーナリストとして深く観察・研究してきた著者でなければ、この分野での豊富な内容は書けなかったであろうと感じる。一般人の教養書としても、これから農業に参入したり、勉強しようと思う方にとっても「目からウロコ」の項目が多く、参照・参考に値する一書である。
●『日本は世界5位の農業大国』
★著者・浅川 芳裕
1974年山口県生まれ。エジプト・カイロ大学文学部東洋言語学科セム語専科中退。ソニーガルフ(ドバイ)を経て農業技術通信社入社。若者向け農業誌「Agrizm」発行人。ジャガイモ専門誌「ポテカル」編集長。月間「農業経営者」副編集長。
★定価 838円(+税) 発行・講談社+アルファ新書
『動物の食からみる現在の食生活へのヒント』 【 お勧めの本 】
著者の中川さんは、長年上野動物園や多摩動物園の園長を努めた。動物たちとの関わり合いから観察したことを、深い洞察力と動物に対する愛情から、人間の食生活への感慨を一冊の著書にまとめた。
私たち一般人が動物園に行っても滞在時間は短く、動物たちの普段の生活時間でほんの一部を切り取ってかいま見るにしか過ぎない。しかし、動物とて生活の基本は、食物を食べることと、子孫を増やすことで生命を全うして行くことであることは言をまたない。
人間は、食べ物を好き勝手に選んで、しかも現在の日本は地球の裏側からでも食料を輸入して食べることが可能である。しかし、可能であるからといって、何でも欲望のままに食べることは何か違う気がする。人間の食性は、雑食性といわれながら歯形からいうと草食動物と同じである。肉や魚肉を食べる犬歯は、28本中の4本、つまり全食べ物中の7分の1で十分といえる。
動物たちは、昆虫からゴリラまで、進化の歴史がつながり、その食性には自然の法則があり、動物たちは自然法則の範囲内でしか食べていない。それゆえ、動物園という人為的な環境の中で、より野生に近い食べ物を与え、野生の暮らしの習慣・環境も出来るだけ自然に近く配慮することで健康が保たれるのは、人間も同じであると、この著書では示している。
「母乳」で育まれる子供とのコミュニケーション、「お袋の味」が代々受け継がれ、有害物質から子供を守る姿、動物の親が子供に教える「食育」、「ゴリラの退屈病」など現代社会と共通する現象、動物における家族のきずな、動物社会とのつながり(人間関係でなく、動物関係?)、体調が悪いときや、病気のときの自己治療(セルフメディケーション)など、人間が教えられることが非常に多いという。
人間とて、生態系のサークルの中の一生物でしかない。他の動・植物との生態系のバランスが崩れたら滅亡の道をたどることは間違いない。共存のバランスを人間の強欲がくずすことのないように、環境と共存の問題を最後に提起している。普段知ることのない動物たちの珍しい生態がよく分かり、家族で一読をおすすめ出来る一冊である。
●『動物の食からみる現在の食生活へのヒント』
★著者・中川志郎
1930年茨城県生まれ。宇都宮農林学校・獣医科卒業。上野動物園、多摩動物園など通算37年の動物園勤務。1994年、茨城県立自然博物館長に就任、21世紀に向けた新しいタイプの博物館として、宇宙、地球、自然、生命、環境問題を訪れる人たちの為に展示、尽力。その他、環境庁中央環境審議会委員、国立科学博物館評議員、WWFジャパン理事等多方面で活躍。
★定価、 1,238円(+税) 発行・芽ばえ社
江戸の味を守り続ける 佃煮の老舗 日本橋 鮒佐 宮内隆平さん 【 食の匠たち 】
東京でも日本橋界隈は江戸時代から続く老舗が多い街である。日本橋室町にある三越日本橋本店の向かい側の路を4~50m先行ったところに佃煮の老舗「鮒佐」さんがある。文久二年だから幕末の頃の創業で、初代は「鮒屋佐吉」といった。現在の当主は四代目の宮内隆平さん。(写真・左上)
我が家ではここ数十年来、朝の食卓に「鮒佐」の佃煮を欠かしたことがない。私が仕事で東京へ行く機会が多くなり、母親から買ってくるように頼まれて立ち寄ったのがキッカケといえる。現在102歳(健在)になる母親が若いとき、東京の本郷に住んでいて、その頃から贔屓にしていたというから、通算すれば 70年くらいの母子二代にわたるお付き合いである。
そのような関係で四代目に色々お話を聞きご登場頂くことになった。
初代は房州出身で、江戸の神田お玉が池にある「北辰一刀流・千葉道場」で免許皆伝の腕前だったそうである。ところが時代は幕末で、もはや武士が巾を利かす時代でない事を見通したのか、千住界隈で作られていた「鮒のすずめ焼」を自ら製造販売を始めて転身、食通の間に評判となった。当時この辺は、日本橋の魚河岸もあり、江戸でも殷賑をきわめた場所である。
俳人・松尾芭蕉が江戸へ出てきて、魚河岸に住んでいたことは資料に明らかで、鮒佐さんの店の入り口には、ゆかりの石碑が立っている。「発句(ほっく)なり 松尾桃青 宿の春」という句であるが桃青(とうせい)は、芭蕉の前の俳号。建立までの資料、発掘、検証は四代目・宮内さんの尽力によるものである。(写真・右下、左の石碑)
当初は佃煮といっても江戸前で獲れた材料が主で、種類も少なかったが、白魚の佃煮などは食通の高級な食べ物であり、落語の中で、泥棒が侵入した家の食卓に「鮒佐の白魚」が載っているのを見て、貧富の判断材料としたいう。落語(はなし)の中に老舗の商品を取り入れて、CMにしてしまうのは、現代の手法を先取りしたものといえる。
三代目(先代)は、日本橋の小学校で久保田万太郎(作家)と同級生であった。万太郎は、新派の名作「婦系図」(おんな系図)の脚本に、鮒佐の佃煮を手土産に訪問する場面を設定、友情PRという粹な計らいに及んだという。それで、主演の花柳章太郎も自筆の絵に「鮒佐煮や時雨る味の東京を」という賛を添えて描き贈っている(写真・右上)。それゆえ、戦前から鮒佐の佃煮を贔屓にする有名人は多い。
佃煮も名称の起こりは、徳川家康が三河から連れて来た漁師が佃島に住み、小魚を塩煮にしたのが始まりとされている。しかし、現在の佃煮は、醤油がなければ成り立たず、江戸後期の関東における醸造業の勃興をまたなければならない。だから、現在の形の佃煮は意外と新しいもので、初代が今の佃煮を考案したのは、ほぼ間違いないという。「元祖佃煮」を名乗るゆえんでもある。
佃煮の材料も戦前、戦後、時代により変化している。江戸前の白魚など、とれなくなってしまったが、お客様の嗜好の変化も察知して、新しい素材も揃え、昔ながらの海老、はぜ、しらす、はまぐりの他、現在は、三十数種類にものぼり、他に煮豆類、甘露煮まで取り揃えている。
老舗と言っても、各店中身を見ると意外に革新的な意識を持っている。材料も出尽くしたようで、探せば結構よい素材があるという。また、煮方、味の付け方も代々工夫して、昔からの方法に加え、五代目(ご子息)が工場の陣頭指揮をとっている。細かいノウハウの蓄積は膨大なものになるという。ただ、以前と違って神経を使うのは、素材の調達。産地の変遷や変化に対応して、時には外国産のものにも目配りするが、品質に対する基準を落とすことはない。
佃煮というと「古い食べ物」というイメージを払拭するため、若い人向け食べ方の提案も、五代目(ご子息)を中心にいろいろ試行している。また、既存の流通以外に時代でインターネットも力を注いでいるが、日本橋・老舗同士のコラボレーション(名だたる老舗合作のお節料理「七福」)も新しい試みとして始まっているという。
お節料理に、鮒佐の「鮒のすずめ焼」「海老のおにがら焼」「わかさぎのいかだ焼」は、欠かせない。この日本の食文化の一角を形成する「佃煮」が、もっと見直され、再評価されてしかるべきと思う。これを機会に一人でも多くの人が知る端緒となればと思いご紹介した次第であります。
風・光・空気・水までも味方につけて創る料理人・渡部綱善さん 【 食の匠たち 】
赤城山東面から沼田・片品村へ続く根利街道は、東京から尾瀬・奥日光方面への抜け道である。国道122号から別れて登ると、40年前に通ったころは、雨のぬかるみで出来た轍(わだち)にタイヤがとられ、難儀した路でもあった。運転に不慣れな都会のドライバーが谷底へ転落する事故がしばしば起こるような悪路でもあった。しかし、近年は、鋪装も完備し、トンネルも抜けて快適な観光道路となっている。最近合併して、黒保根村から桐生市黒保根町となったが、山の中の環境は全く変わらない。
そんな場所柄だから、最初「ろぐてい」を訪れたときは、こんな辺鄙な場所で商売になるのかしら、と思った。ところが渡部さんの料理を食べてみて、なるほどここはこの場所の全部が料理の味を創っていると感じた。だから、お客さんが何回も訪れるのは、環境と料理によって癒されると感じるのかも知れない。
春は、目にもまぶしい新緑が風となってエネルギーを運んでくる。夏は、山間から渓谷に向かって吹きわたる風はさわやかである。秋は周囲の景色全部が紅葉で色あざやかに染められる。冬は、寒さはきついが積雪はそれほど多くない。この場所に縁もゆかりもなかった渡部さんが、住み着いたのは12年前、きっかけは趣味の渓流釣りで、何年もかよっているうちに、自然にここを選んでいたという。
福島出身の渡部さんが就職で上京し、最初に就いたのが「森永」のレストラン部・調理場の配属だった。そこで料理を覚え、喫茶部へまわされたが、その時にケーキの作り方、パンの焼き方も身につけた。しかし、若さ故かトラバーユして就いた仕事が「半導体の設計」という最先端の仕事。26歳から17年間、43歳まで従事していたが、余りに自然とかけ離れた生活に虚しさを感じて、何かをやらなきゃと思って、夫妻で日本中を食べ歩きながら料理の研究を始めた。
今の食材供給元は、その時の縁でつながった産直の供給先が多いという。自分の好きなコンセプトで組み立てアレンジした料理だから、本当のイタリア料理とは言えないと謙遜して言いながらも、食材を選ぶ目利きであることが食べてみると分る。
イタリア料理のメインの食材である海鮮類は、佐渡の知人から直送される。なかでもそこで採れるイカは厳選したものを送ってくる。奥さんの出身地である九州からもメンタイやシラスは産直で送られる。
野菜については、地元といろいろな農家とご縁が出来て有機野菜のみ直接仕入れが可能である。もともとキノコ栽培な盛んな当地では、年間いろいろなキノコ類が豊富なので「畠シメジ」等も栽培され、イタリア料理には最適という。だから、海鮮類でもこんな山の中で活きのよい珍しい魚介類が出てくるのに驚くことがある。
奥さんの律子さんは、素材の関係で事前予約のみ「懐石風和食」を供してくれる。趣味で集めた器もまた目の保養になる。「私のは食べ歩きで覚えた和食の延長」というが、これだけ料理を作るのは、ご主人より料理の才があるのではと、かんぐるほどである。塩の研究では熱心さにおいて右に出る人はいない。いろいろな料理人に塩の使い方をお願いしたが、打てば響くような答えが返ってくるのは彼女が一番早い。そして、素早く自家薬籠中のものにしてしまう。
お二人のイタリア料理におけるこだわりの一つに、素材に加えて見い出したギリシャ産のオリーブオイルがある。いろいろ試した中で選んだものでアルティス(Altis)という銘柄。あるルートで現地調達するという。「ろぐてい」のウリの一つに料理もさることながら、自慢のコーヒーがある。コーヒーを淹れる水は、友人宅の敷地内に300年間こんこんとわき出る赤城山の伏流水。取りにいったり、届けてくれたり、この水は料理にも欠かせない。
都会から移り住んで12年経ち、すっかり地元にも溶け込み、遠来のお客様がわざわざ訪ねて食べに来てくださるのが大変嬉しいという。国道122号を真っ直ぐ行けば、日光清滝に出る近道だが、10分ほど脇に入って「ろぐてい」へ立ち寄っても、そのまま、根利街道から、尾瀬・奥日光へ、ロマンチック街道につながっている。風・光・空気・水までも味方について美味しい料理を作る渡部さんの「ろぐてい」は、癒しのレストランといえる。
洗練された味が感動を呼ぶ フレンチシェフ鈴木道朗さん 【 食の匠たち 】
親子二代、思えば長いおつきあいである。私が最初に店を訪れたのは、食事に行ったのではなく、40年前、二十歳代半ばのころ、父親が病気の療養中「すずき」のスープが飲みたいという希望を特別聞き入れて貰い、独立開店したての店へ容器をもって取りに行ったことに始まる。
鈴木さんは、戦前から桐生にあった「桐葉軒」(とうようけん)というレストランで修業した。名前は古くさいが当時としては、他の街にもなかったハイカラな店だった。桐生は織都であり、京阪神や東京の百貨店、卸問屋の仕入れ方との交流が多かった。それだけに一流の味を誇った店が多かった。
「桐葉軒」(とうようけん)は、桐生倶楽部という政財界人の集まる建物の敷地の中にあった。フランス語も独学で習い、厳しい修業の後、22歳で料理長に抜擢された。通算12年の時を経て市内で「すずき」として独立、味のよさで繁盛した。
現在の場所に移転したのは1979年、本格フランス料理「ファンベックすずき」。ファンベックは「鋭いくちばし=食通」という意味だった。店は繁盛し、県内外でシェフとして活躍する20人以上の弟子も育てた。また、直弟子以外の他店で修業したシェフにも快く教えたことから、恩恵を受けた人も多く、「群馬のドン」といわれるゆえんでもある。
ファンベック開店の前に初めて渡仏、現地の一流料理店を食べ歩き、自分の料理がフランス料理であることを確信したという。そのころの鈴木さんは「味に妥協を許さない」という感じが料理にも表れていた。
自分の料理が完成したと思えるようになったのは「六十歳になってから」という。
だから、昨年の4月、店の改装を機に店名を「シュマンドール」(黄金の道)に変え、客席も40から29に減らした。そして、客席の目の前で料理をするオープンな「フィニッシュ・キッチン」方式に改めた。「お客様一人一人の料理人になる」という夢に一歩でも近づきたいためという。
鈴木さんの料理には、「洗練された」という形容詞がふさわしい。どれをとっても垢抜けている。だから、東京都内の一流店やホテルのシェフも食べに訪れ、味に驚嘆して帰るというが、好奇心の強い熱心なお客様には、料理の作り方を教えながら会話を楽しんでいるように見える。側で見ていても「教え上手」である。
近頃の料理は、洗練さを超えて、素材の扱い、ソースの味、味付けにしても、一種の遊び心(ゆとり)が伝わって来る。脱フランス料理・ステージアップの域に達したのかと見まごうばかりである。ここまで来たら、やがて料理の仙人「仙境」の域に達するまでの味を見たいものと思っている。まだまだ当分お付き合いが続きそうな料理人の一人である。
醤油造り伝統の技を守る 萩原恒男さん 【 食の匠たち 】
創業天保三年、170年余の伝統を受け継ぐのが、㈱有田屋工場長の萩原恒男さんです。長い歴史の中で何代目の工場長かは数えたことがないそうだが、入社44 年目の大ベテランではある。顔のしわひとつにも長年、麹造りや、もろみの仕込みに全精力をつぎ込んできた匠の顔そのものである。
醤油造りは、代々の職人さんから受け継がれる伝承技術ではあるが、もちろんその時、その時でいろいろな技術改良は行われてきた。しかしながら、有田屋で現在も守られているのは「天然醸造」で、人工的に温度、湿度を加えず、上州の気候、風土に任せた醸造法である。
それだけに、毎年均等な品質の醤油造りには、一番腐心するところだという。それゆえ、自然に気象、気候に対するセンサーが鋭く磨かれ、毎日の天気模様にきめ細かなアンテナを張りめぐらしている事が言葉の端はしに窺われる。
醤油造りの要(かなめ)は「手入れ、櫂入れ、火入れ」といわれるが、「手入れ」は麹造りの管理を意味している。その要点は、通風管理と温度管理だという。麹造りが始まると、3日間くらいは、不眠不休の気が抜けない時が続くという。もちろん、麹菌にの中に雑菌が入り込んで汚染されないよう、麹造りの装置には、清潔が保たれるよう細心の注意を払いながら作業が進む。
あらゆる工程管理での技術を維持し、改善し、伝統として次世代に伝えて行くのが工場長の責任と萩原さん。醤油はお酒と違って季節を問わず仕込めるのが一般的だが、「天然醸造」の伝統から有田屋では、仕込み時期も、寒仕込みが行われている。
どうしても追加の仕込みをしないと間に合わないときは、秋の仕込みもするという。理由は、低温時の仕込みは、もろみの原料利用率が高いという利点を活かしてのことである。合理化や省力化は進めながらも、古き良き伝統技術は着実に、次の食の匠たちに受け継がれて行くに違いない。
今回、キパワーソルトという伝承技法によって造られた塩を使っての醤油造りは、有田屋にとっても、新しいチャレンジだったと語る。創業以来守り続けてきた『富國』というトップブランドで発売決定したのも、その思い入れの現れであると感じる。
いまや「ソイソース」といえば世界で通用する優れた調味料として脚光を浴びる醤油だが、すぐれた技術の伝承を守り続けている醸造メーカーが生き残れるかというのは、消費者の意識と理解にかかっていると考える。
塩の使い方に新境地 尾島良治さん 【 食の匠たち 】
尾島さんは戦後、桐生でお父さんが開いた「江戸っ子寿司 を継いだ二代目。
二代目のきついところは親以上の味を創り出していかねばならないことでしょう。それとお寿司屋さんは、近年時代の変遷で、昔のままの営業形態でやっている店がどんどん減っているという厳しい環境にある。回転寿司のような数と廉価志向か、
寿司本来の味で勝負の生き方か、二極志向の様相を呈しているわけです。
そんな中で、尾島さんのコンセプトは、あくまで寿司本来の味と、さらに深化した寿司作りに挑戦し続けている。それだけに修行時代から師匠には、徹底的にタネの鑑別法、見分け方を仕込まれたという。地方の寿司屋さんは良いネタの仕入が大変だが、東京の築地には毎週通ってなじみの仲買店から吟味に吟味を重ねて仕入れて来る。本当は週2回行きたいのだそうだが、往復7~8時間かかるので、週一回の買い付けとなる。
もちろんマグロの鑑別には最近輸入魚が増えているだけに力を入れて勉強しているが、むしろ神経を使って見分けてくるのが季節、旬の小魚類。春や夏にはシンコ、コハダ、アジ、マコガレイ、イナダ、アオリイカ、トリ貝、アワビ、穴子、シャコ、カツオなど、秋や冬にはさサバ、サヨリ、スミイカ、車海老、みる貝、赤貝、マダコ、ハマグリ、ヒラメ、真鯛など。
種類も多く、水揚げ地もさまざまなだけに、旬の味を選ぶには長年のカンと経験が頼り。長い常連のお客様の舌に応えられるには、魚の目利きが繁盛の分かれ目となる。また、帰ってから仕入れたものを丁寧に仕込みにかける時間を費やす。最近は、仕込済みのタネを仕入れてくる寿司屋さんも多いというが、尾島さんは塩の使い方に工夫と研究を進める中で自信をつけて行った。特に本当の通が好むというコハダの塩の振り加減と、酢の締め加減は絶品である。
玉子焼きも修業時代の親方に仕込まれた「東京焼」の味を守り通して焼いているが、一工夫したのがキパワーソルトの使い方、塩加減で日持ちが良いのと、味が一段と良くなったとお客様の評判も上々。最近は、白身の魚を塩味で食べるお客様のリクエストが増えたが、タコも塩味であっさりした塩加減で食べると美味しいと、食通からの注文が多いという。(写真は、白身魚とタコを塩味とスダチをちょっと絞り食べる)
タネの仕込みもさることながら、意外と難しいのがシャリの選別と炊き方。昔から「握り鮨の味は、タネが4分にメシ6分」といわれるほど。それだけに米の産地情報と仕入には気をつかう。鮨飯に最適なのは、寒暖の差が激しい山間部でとれた小粒のお米の方が適している。かえって平野部でとれた大粒の米は柔らかく、温度が冷めたときにべたついてしまうという。鮨飯の炊き方も塩の使い方で随分違うというから、お米が変わる度に、塩加減の使い方を研究し、ノウハウを溜め込んでいるという。
キパワーソルトと塩田の塩で、いろいろな使い勝手を研究している寿司屋さんとしては、いまのところナンバーワンと言えるでしょう。これからも精進を重ね、名人といわれる域に達するよう頑張って頂きたい二代目です。
野菜作り,料理,氷彫刻,独自の境地を目指す才人 村上元彦さん 【 食の匠たち 】
6月の初め、中学時代の親友から「美味しい評判の店があるから行ってみないか」という誘いを受けた。食べに行く理由はなんとでも付けられる。そういう話しはまとまりが早い、たちまち5人の同級生で食べに行った。洗練された料理と、雰囲気のある店構えで満足した一行だったが、オーナーシェフの顔を見て、いつかどこかで会った顔。
いろいろ話を聞いてみると20年以上前に市内でフランス料理のレストラン「亜空間」という店を開いていたシェフだった。当時は、普通に家内などと食事に行った通り一遍の客だったが、歳月の経つのは早く、久しぶりの再会だった。
村上さんの料理人としてのスタートは、東京・有楽町にある「ニュートーキョー」の別館にあるレストラン。新宿、銀座にある一流レストランに勤務したあと、フランス料理は鉄人・坂井の高弟から学び、一緒にテレビ出演したことも多々あったという。20歳のときから勉強を始めた「氷の彫刻」は、以来現在に至るまでライフワークのひとつ。群馬県・伊勢崎市に開いた師匠のフランス料理レストランでチーフを勤めた後、24歳の時に桐生で開店したのがフランス料理のレストラン「亜空間」。30歳まで6年間営業して、思うところあり閉店して、氷の彫刻で全国のホテルから仕事の依頼を受けながら、デザートの研究に打ち込む。
PSJ研究所・南雲成次さんとは、30年来の盟友で、氷彫刻ではコンビを組んで北海道や長野県で行われる大会で多くの賞をとった。北海道で開催された世界大会では第三位になったという。また、テレビチャンピオンになったこともある。氷彫刻戸外の大会では、厳寒-20度の中を3日間も作業したことがあるというから体力も必要である。現在は、隣の町から依頼されて、祇園祭・実物大の御神輿の彫刻も頼まれ、夏の一夜を4~5時間の命だが町民に涼風を送る仕事も引受ている。写真右上は、ホテルでの氷彫刻作品。
デザートの研究では、会社を立ち上げ独特な製法とデザインで東京の一流ホテルやレストラン・宴会場に納入している。だから、ホテルの結婚式で村上さんの作品と知らずデザートを食べている場合があるのでないだろうか。現在会社も軌道に乗って来てるので、自分の作りたい料理を作るコンセプトで昨年秋に開いたのが「月花」。
さらに、もうひとつのライフワークである「そば打ち」「うどん打ち」である。「そば打ち」は、会員800名を擁する教室を主宰しているが、うどんも地粉造りから取り組んで研究に打ち込んでいる。
塩の使い方についても一家言あり、キパワーソルトの評価も高く買っている。これから塩談義の相手が近くに出来て喜ばしい。多才な顔をもつ才人がいよいよ研鑽を積んで、自の境地に至れるのかというのも見ものではある。
既成概念を打ち破る野菜作り・南雲成次さん 【 食の匠たち 】
世間一般の常識からしたら「変人・奇人」という評価が成り立つ。ただ、南雲さんと話をしていると感じるのは、どこかのコマーシャルで言っていたが「目のつけどころが違うでしょ・・」ということにピッタリの御仁である。
南雲さんが農業を営む隣町の隣村であった新里村は、今回隣町を飛び越して私の住んでいる桐生市と合併した珍しい合併例のところにある。だから、南雲さんとの出会いも変わっていた。
5年ほど前、東京・銀座にある「異業種交流会」の席上で、パーティー料理を作りながら、持ち込んで来た野菜をしきりに「生で食べてみてください」という人がいた。奨められるまま、キャベツや人参を生で食べてみたが、シャキッとしていて柔かく、味は今まで食べた有機野菜とは一味ちがうものを感じた。長年、有機野菜を試食していると、使った堆肥の種類がある程度分かるようになる。南雲さんの野菜は、それを感じさせない野菜の素直な味がした。
聞いてみると、近くの新里村というので後日尋ねることを約束して、往来が始まり5年経ったのである。初めて尋ねた日、自宅の周りにある自然発生したのか、植えたのかわからないが、いろいろなハーブを摘んでは食べさせられた。つまり、南雲さんにとっては植物の生育を観察する手近なサンプルなのである。畑へ行ってみて驚いたのは、広い面積の土の柔らかいことである。今まで見た有機農法の畑では無かった感触なのです。
この畑では長い大根も子供の力でスーッと引き抜ける。その土の秘密は、畑の奥に山と積んである堆肥にあった。完熟して土と化した堆肥をダンプ100台分入れたというから柔らかい筈である。いろいろな野菜がのびのび育っているのが分かる。南雲農法の特徴は、考案した独特の堆肥造りにあり、切り返しの時に使うキパワーソルトの希釈液にノウハウが秘められています。もちろんキパワーソルト希釈の葉面散布にも工夫が凝らされている。
南雲さんは、もともと腕の立つ料理人であった。美味しさ 追求しているうちに、 本物の素材は自分で作らねば本当に良いものは出来ないと農業を始めた。だから真新しいキャンバスに自由な色を塗る、従来の農家にない発想で作物造りを始めたから、既存の農家からは異端視されたのも無理はない。
写真左の手に持つ野菜は、西洋種のゴボウでである。グロテスクな形からサラダにすると美味なることは想像し難い。写真右・温室栽培のトマトも、もともと原産地ペルーの高原地帯である乾燥した高地の環境を再現し(室内環境造りにいろいろ工夫が見られる)遠い遺伝子DNAレベルの性質を呼び覚まして上げるような育て方をする。 それで、西洋ゴボウもトマトも性質、性格を最大限に発揮できる自由な育ち方をする。結果、トマトは水分が25%も少ない、濃密な味わいと甘さで、契約したレストランや納入先から引く手あまたで大人気となる。
南雲さんの趣味は多彩で、そのひとつに渓流釣りがある。ある年の夏、沢山釣ってきた岩魚をキパワーソルト味で燻製にしたものを頂いた。 今まで食べたどんな燻製にも勝る美味であったが、何をするにも器用なのである。その昔、料理人時代には「氷の彫刻」で、さまざまなコンクールで賞を総なめにした過去を知る人は少ない。特に、「月花」のオーナー・シェフ村上元彦さんとコンビで、様々な大会・コンクールで名声を博したことを最近村上さんとの出会いで初めて聞いた。
自然農法や有機農業を営んでいる農家はそれぞれ工夫を凝らしているとは思うが、南雲さんのような奇想天外ではあるが自然循環型の農法で、生産効率を上げたら、食糧自給率改善に貢献できる可能性大と思う。これからの新発想による開発がますます期待できる。
若き名シェフ 池田隆二さん 【 食の匠たち 】
池田隆二さん、偶然にも同姓であるが、彼と出会ったのは4年前、日本橋にある老舗百貨店の展示場であった。彼は、自分で創作したドレッシングを展示していた。温顔と温厚な人柄から同姓のよしみもあり、直ぐに親しくなった。話を聞いてみると童顔で若そうな人柄とは裏腹に、料理に対する見識と経歴は中々のものがある。
1964年東京生まれというからまだ若いが、料理人としては油の乗り始めた年齢でもある。子どもの頃から料理好きで、「リュウちゃんのご飯は美味しい」と評判になり、友達から何か作ってとリクエストされるくらいだったというから、シェフを目指したのは当然の成り行きといえる。
18歳で株式会社藤田観光に 入社。新宿ワシントンホテル洋食課・メインレストラン「ガスライト」に配属されオープニングスタッフとして立ち上げに青春時代を過ごした。3年間の勤務を経て、ドイツ・ケルンの「KIKKOMAN DAITOKAI GMBH Koln」(キッコーマンの現地法人)に入社。2年後に最年少で料理長に就任したというから、単なる料理好きだけの才能ではない。
ドイツ時代に現地で学んだドレッシングの作り方が後年、創作ドレッシングの製造する原動力になったという。
89年 帰国後、六本木にあったかつてのステーキの名店「樹」(いつき)に入社、その時ステーキに対するセンスも磨いた。その他、赤坂店(イタリアンレストラン 「AKASAKA-SHOKUDO」)・池袋店
(イタリアンレストラン「Trattoria MUSE」)料理長兼店長を歴任(池下レディースクリニック料理責任者も兼任)。99年、レストラン「Kudamm Platz」に入社。料理長兼店長に就任。
2001年3月には、テレビ番組 「どっちの料理ショー」に出演。同年4月に独立、株式会社ビデカと提携。「ベルリンの壁」ブランドを立ち上げ、こだわり手作りソースをプロデュ-スしました。それが4年間をかけて開発した「ベルリンの壁」ブランドのドレッシングです。(写真右側)日本生命のホームページ「家庭の泉」料理欄も一年担当したというから、活躍は多岐にわたっている。
数多く出会った料理人の中でも瞬間的に判断できる人はそう多くはないが、4年前に出会ってキパワーソルトを一舐めして、彼は直ぐにその価値がわかった一人です。爾来、あちこちPRして下さいましたが、特に今回は自らチーフを勤め、後進の指導にあたっているレストランcacciatore(カッチャトーレ)で、全面的に採用して、お客様から「美味しいの評判」を頂いています。
料理人としては、これからが円熟期の境地に入る年齢ですから、さらなる精進を期待すると共に、現在、塩に関してコラボレートの話しも進行中です。
鶏大好き青年 生方彰さん 【 食の匠たち 】
「寝食を忘れて」という形容があるが、彼の鶏を世話する態度はまさにその通り、鶏大好き人間である。3年前、知人の紹介で群馬県北部の子持山麓で好い飼い方をしている養鶏場があると聞いて尋ねて行ったのが最初である。
関越道の昭和村にあるインターを降りて車で20分のところにある「子持自然恵農場」で待っていたのが生方青年(場長)だった。自ら「鶏大好き人間」というように、鶏にたいする愛情は並々ならぬものがあった。
キパワーソルトを使うことの意義についても熱心に耳を傾けてくれた彼は、以来律儀にも餌の中に入れてずっと使い続けている。また、鶏について語りだすと彼の話は終わることを知らず、本当に鶏が好きなのだということがわかる。
「鶏は砂遊びが大好きなんですよね」という彼の言葉に、終戦後食料難の時代、庭で鶏を飼っていた事を思い出した。その時は、当たり前の光景と思って特に気にかけていなかったが、彼の観察眼は鶏の細かい習性にまで知り尽くしている感じがする。水ひとつとっても溜め水ではなく、いつも新鮮な掛け流しで鶏は水を呑むことができる。
しかし、ここ数年彼を悩ます問題に「鶏ウィルス」による風評被害がある。「子持自然恵農場」のような現在では少ない「平飼い養鶏」の鶏の抗病力や免疫力は、「ゲージ式工場養鶏」に比べて圧倒的に強いのだが、いったん風評が立つと今まで信頼して来た消費者まで及び腰になる事があるという。
鶏卵という食品は「価格の優等生」といわれるくらい安い値段が続いている食品のひとつです。逆に言えば養鶏家の経済効率追求により成り立ったいたのかも知れないが、飼い方はおよそ生き物を飼うというものではなく、100万羽、200万羽という単位で窓のない工場のような養鶏場で消費者の目に触れることは全くない。しかもブランド名も環境団体が問題にしたように「自然」「オーガニック」のまぎらわしいうたい文句にしているから、消費者はなお良否の判別がつかない。
一万羽未満の「平飼い養鶏場」などは飼い手の思想と消費者の思いがつながることにより成り立っている。それだけに情報発信は重要だが、少ないスタッフで鶏の面倒をみる時間にとられ、なかなか思うよう行かないという。最近では茨城県で発生した「鶏ウィルス」だが、近いだけきめ細かいインフォメーションの必要が痛感される。
だから消費者の方々に「ウチの農場へ来てみてください」というのが、今まで一番の情報発信だったが昨今はそれが出来ないのが悩みという。というのも、山から来る野鳥や、鴉、野鳩などの持ち込む病原菌にも気をつけているが、今は人間が持ち込む「病原菌やウィルス」のほうがよほど怖いのかも知れないからですね。
賢明な消費者の支持がもっと得られるならば、「平飼い養鶏場」の拡大は可能です。遠くでも送る流通システムは出来上がっていますから、気(Qi)のパワーの高い玉子を召し上がって頂きたいと思います。
飼い方の詳細は、 "http://www.qisalt.com/user/index.htm">http://www.qisalt.com/user/index.htm の子持自然恵農場をクリックしてください。
お問い合わせは、電話0278-22-1105でお尋ねください。
日本の梅干しおばさん 乗松祥子さん 【 食の匠たち 】
日本の伝統的な漬物「梅干し」ですが、日本料理の世界で梅干しと言えば知らぬ人のない乗松祥子さんというオバちゃんがいます。自ら「梅干しばばあ」と称してはばからないほど梅干しの普及に日夜専心している希有な存在です。
乗松さんは、東京の代官山で「延楽」という日本料理のお店のオーナーです。店の名前の由来を伺ったところによると、町名は、猿楽町(さるがくちょう)ですからそれに因んで付けようと思ったそうです。ところが、料理屋さんに動物の名前はふさわしくないと忠告され「延楽」(えんがく)と読み替えて付けたという経緯があったそうです。
梅干しとの馴れ初めは、若いころお勤めしていた超有名なお店(懐石料理)が移転をするので片づけをしていたところ、床下の方から出てきたのが古色蒼然(こしょくそうぜん)たるほこりに汚れた壺。中に入っていたのは黒ずんでコロッとしたもので、どう見ても食べ物とは思えないと感じたそうです。しかし、それが100年くらい前のもので、お店の主人がさる漬物名人から頂いた梅干しということでした。その100年前の梅干しは頂いて保存し、今でもお店の宝物として現存しているそうです。
非常に長い年月を経ながら、変化し続け、たくましく生きている梅干しに衝撃を受けたことが、今の乗松さんをあらしめたと言って過言ではないでしょう。そして古い梅干しの単に食べて美味しいとは違う別の力を感じ、自身でも梅干しを漬け始めたのが独立以前のその年からだそうです。爾来、本業の合間に日本中の梅農家を尋ね歩き、梅干しにふさわしい品種を探すことに明け暮れました。
その中で、昔から神奈川県で栽培されていた「杉田」という品種、今は栽培する梅農家もごくわずかという江戸時代からの伝統的品種です。
ふっくらと大きな果実と柔らかな果肉と香に魅せられた乗松さんは小田原の梅農家へ出向いたのです。ところが、生産量が昔と違って少なくなり、買う人が決まっているので頒けて上げられないと断られました。それから始まったのが小田原通いで、毎年、毎年、やってくる根気にほだされて梅を頒けて貰えるようになるまで3~4年かかったと言います。
今は伝統品種「杉田」の栽培普及にも東奔西走している乗松さんですが、祖先から営々として受け継いできた日本のすぐれた食べ物、 梅干しを次の世代に引き継いで行くことが使命と、その行動や言動に現れています。
毎年「梅仕事」の季節になると、鎌倉にある作業場は戦場のようになりますが、乗松さんの陣頭指揮で梅干しを初めとして、 梅酒やいろいろな漬物が手際よく仕込まれて行きます。もちろん、本業である代官山の日本料理「延楽」(電話・03-3770-3418)へ行きますと洗練された食事を楽しむことができます。季節、季節で梅に因んだ料理も供されます。
http://www.daikanyama.ne.jp/areaguide/database.cgi?equal18=146&tid=all_detail (折れる場合は、つないでアドレスに入力して下さい)
梅干しの作り方を初め、乗松さんの料理の集大成が『梅暦・梅料理』という本の中で紹介されています。梅干しを本格的に作るにも、家庭用の少人数用で簡単に作るにもガイドブックとしても最適です。
http://www.qisalt.com/blog/2006/01/13.html
また、例年暮れになると東京・日本橋室町にある老舗百貨店の「お節料理」コーナーで、「延楽」の本格的な日本料理のお節を注文して味わうことができます。
北の料理人 貫田桂一さん 【 食の匠たち 】
貫田さんと初めてお目にかかったのが、まだキパワーソルトの販売普及が開始されて間もないころでした。おだやかな語り口と人柄は、 初印象からして好感がもてた。いろいろお話を聞いてみると、その料理に対する研究熱心さには驚くばかりです。
北海道は、もともと食材に恵まれている土地ではあります。ですから、北海道の料理人は、美味い素材が、 近くですぐ手に入るので余り努力をしなくても良い料理を作れるのでは、と思っていたが、その考えは誤りだったことが思い知らされました。
北海道の魚、野菜にしても、プロの目からすると「ピンからキリ」までというのは当然だろうと思います。それゆえ、 貫田さんは良い素材を求めて、辺境の地まで、くまなく巡り歩いたという。 その距離には広い北海道ゆえ驚くべき時間を費やしたものと想像できます。
長年かけて足で探した本当に北海道ならではの料理素材を紹介した本が「北の料理人」http://www.qisalt.com/blog/2006/01/20.htmlです。
食材を見る目は厳しいが、北海道に対する愛着にあふれた一冊となっています。また、塩のお話になると時間の経つのを忘れてしまうほど、 フランス料理のシェフとは思えないほど詳しい。それもそのはず修行時代、兄弟子に塩については特別徹底的に仕込まれたというから、 良い兄弟子に恵まれたものだと思います。
数年後、北海道HBCテレビで「韓国の焼塩」(キパワーソルト)特集の番組を収録する際には、本当にお世話になりました。 その数年の間に溜め込んだ資料をもとにして、またも出版したのが「北の料理人Ⅱ」 です。
北海道庁から「地域づくりアドバイザー」の委嘱を受けているほど、北海道のPRマンとして忙しいシェフですが、貫田さんの料理は、 北海道の食材を生かしきった創作料理といってよいでしょう。
「豊かな時間と食」を提供する「食文化発信基地」を目指して、 北海道の食を全国に広めたいという貫田さんのこれから活躍の場が更に広がって行くことでしょう。
『奇跡のリンゴ』 【 お勧めの本 】
2006年にNHKテレビのドキュメンタリー番組「プロフェショナル仕事の流儀」で放映され、大きな反響を呼んだ青森県のリンゴ農家・木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」を著者が周辺取材し、構成、書き下ろしたものです。
青森は、リンゴとお米が生産品目の大部分を占めている。それだけに戦後、農協主導による化学肥料、農薬で長年取り組んできた。ところが、近年そのシステムによる枠組みが農法としても、農政的にも破綻を来して行き詰まって来たことは明らかである。消費者の食品に対する安全・安心の意識も変化してきているが、従来からあった自然農法というジャンルも、内容は幅広く取り組み方もいろいろである。
自然農法というと『わら一本の革命』の福岡正信先生を思い出す。不耕起・不除草・不施肥など独特の哲学で、ある意味ほったらかし流の自然農法を実践し、自然農法のあり方に一石を投じた意義は大きい。近所の自然食品店から季節になると「福岡みかん」を毎年購入していたが、外見でけではどう見ても茶色ががった少し干からびたようなみかんは、相当作物に対する深い認識と意識がないと普通の消費者でみてくれで敬遠してしまうのではないかと思えた。もちろん食べれば、まろやかな糖度で自然のうま味と日持ちのよさが抜群であったことはいうまでもない。
福岡正信先生は、気候も温暖な四国であったことが好い条件に恵まれた点があるが、青森という冬は厳寒の地で「農薬も肥料もつかわず、たわわにリンゴを実らせる」という木村秋則さんの自然農法は、完成するまで30年近くかかっている。その間、苦心、苦労は、筆舌につくせないという表現がぴったりの時間ではなかったろうかと思える。しかし、このテの人の感覚は苦労が苦労と思わないところが常人と違うところだが、現実は厳しく極貧の時は昼間の農作業が終わると、夜は街のクラブやキャバレーの便所掃除、雑役などのアルバイトで子供たちの学費を払ったという。
木村さんの自然農法は、徹底的に長い時間をかけて害虫の生態、益虫の生態、雑草、雑木、林相など自然観察からたどりついたという。虫の生態についても「ファーブルの昆虫記」にも書いてない、大学の研究室の先生も知らないような未知の生態を実によく見極めていったという。そこから導き出された自然農法は、温暖地、寒冷地に限らず、また、果樹、稲作に限らず幅広く応用できるところに大変な価値がある。
NHKテレビのドキュメンタリー番組で放送される以前から、北海道、埼玉、栃木、茨城等で「木村自然農法」を導入した農家がどんどん増えているそうです。さらには、外国では韓国が熱心に木村自然農法を学んでいて、アフリカ等の農地が砂漠化している国から注目をあびているとのこと。砂漠化は、化学肥料、農薬を長年使用した国内の農地でも広がりつつあり、農家の若い後継者が「木村自然農法」をまなんでいるという。
自然農法としてもまだマイナーな存在であり、知名度もいまだしという感じであるが、国基準の有機農法とも違うし、単なる有機無農薬農法とも似て非なるこの農法が日本の農家に普及したら、いままで農家の所得が増えない原因のコストが大幅に低下することは間違いない。今は、木村さんのリンゴを入手するには希望者が多く、入手困難らしいが、同じ農法の作物を消費者がもっと消費拡大して共存を図ることが今後の課題ではなかろうか。
★著者・石川 拓治
1961年茨城県水戸市に生まれ。早稲田大学法学部を卒業。
編集プロダクション勤務を経て1988年フリーランスライターに。
◆主な著書
『ぼくたちはどこから来たの?』(マガジンハウス刊)、『あきらめたから生きられた』(小学館刊)、『国会議員村長』(小学館刊)
◆構成した書籍
『三流』長島一茂著(幻冬舎刊)、『胸懐』TAKURO著(幻冬舎刊)、『Bボーイサラリーマン』HIRO著(幻冬舎刊)、『哲学』島田紳助・松本人志著(幻冬舎刊)、『全思考』北野武著(幻冬舎刊)、『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する』島田紳助著(幻冬舎新書)、『成功の哲学』三木谷浩史著(幻冬舎刊)、『男道』清原和博著(幻冬舎刊)
★定価、 1,300円(+税) 発行・幻冬社
『みその本、みその料理』 【 お勧めの本 】
年をとったせいか近頃やけに味噌汁の旨さを感じることが多い。麹と大豆のアミノ酸のうまみと甘さを舌で感じ、鰹節や昆布の入り交じった出汁の馥郁(ふくいく)たる香りが鼻をつくと、それはまさに日本の食卓そのものである。
どこの国でも食べ物の伝統は、短い期間で一朝一夕にできるものではない。味噌ひとつとっても、長い歴史と伝統の中で育まれ、れんめんと食生活の中で受け継がれてきたことがわかる。特に「味噌汁」は「おふくろの味」として記憶している人が多く、代表的な食べ物であることに異を唱える人はいないでしょう。
ところが、最近「味噌汁」など食事で口にしたこともないし、テレビ広告のインスタント味噌汁がせいぜいという若者も多いという。味噌の原料・大豆は、もともと100%近くあった自給率が現在は5%といわれている。最近、政治の世界でも「食料自給率改善」をとなえる政治家や政党も目につくが、味噌以外にも大豆製品・納豆や豆腐などがほとんど輸入大豆であることに、国民の目を向けさせ、改善する意識革命が必要ではないだろうか。
本書は、料理研究家・辰巳芳子さんが、母親の浜子さん二代にわたって「味噌汁」だけでなく味噌料理の基本から応用まで長年のノウハウを公開した味噌について何でもわかる初心者に好適であり、ベテランにも参考になる名著です。
味噌は「味噌汁」だけでなく「あえもの」「焼き物」「煮物」「なべもの」「練りみそ」など、実に多岐にわたっています。料理はどんなものでも、余りもの、半端が出るものですが、それらについても懇切丁寧に現代生活に生かす味噌料理として解説されています。
日本の食文化の担い手である「お米」と双璧をなす「味噌」について、ほんものの味噌のおいしさを味わう、きっかけや、他国の料理ではわからないウマ味について感性を磨いて頂きたい思うのです。ぜひ若い女性や若い主婦に必携、必読して頂きたい一冊です。
★著者・辰巳浜子
明治37年生まれ、昭和52年没。料理研究家として活躍。
著書『手しおにかけた私の料理』(婦人之友社)『料理歳時記』(中央公論社)
『みその本』(共著・柴田書店)ほか。
★編者・辰巳芳子
大正13年東京生まれ、聖心女子学院卒業。
鎌倉の自宅で「スープの会」を主宰。
NPO法人「良い食材を伝える会」会長。
『辰巳芳子の旬を味わう』『辰巳芳子 慎みを食卓に』(共にNHK出版)
『あなたのために』『家庭料理のすがた』(共に文化出版局)他。
★定価、 1,600円(+税) 発行・文化出版局
『塩の文明誌』 【 お勧めの本 】
塩について料理や健康問題、医学的なことについて書かれた本は数知れず多いけれど、環境学の専門の研究者が塩をテーマに書いた本はきわめて少なく非常に珍しい。
総合地球環境学といういささか固い感じのする研究者の共著であるが、内容はとてもやさしく、わかりやすく書かれている。「塩の文明誌」という書名であるが、内容は多岐にわたり、塩と料理の関係も一般の料理書とは違う視点から書かれていて興味深い。健康面でも塩の過剰摂取の害は認めながらも「減塩」や「塩分控えめ」の風潮には批判的であり、医学的な観点からも極端な減塩には否定的である。
本題の塩について、まず塩とは何かから始まり、人類と塩とのつきあいから始まる歴史、農耕民族と狩猟民族の塩に対するつきあい方、考え方の違いから、塩のもつ二面性にも言及する。自然環境と塩の関係については、研究者の専門領域であるだけに、うんちくについては深みが あり、塩が地球環境と密接なつながりがあることを納得させてくれる。
塩は人類の文明が始まって以来、よきにつけ悪しきにつけ、その盛衰に深く関わってきた物質であり、そのつきあい方によっては環境的にも「混ぜればゴミ、わければ資源」という両面性があるという。
「食べる」ということ以外に、これほど塩は多面的な物質であることを改めて知ることができる好著といえるでしょう。
★著者・佐藤洋一郎(さとうよういちろう)
1952年、和歌山県生まれ。京都大学院農学研究科修士課程修了。総合地球環境学究所教授。専門は植物遺伝学。
★著者・渡邊紹裕(わたなべつぎひろ)
1953年、栃木県生まれ。京都大学院農学研究科単位取得後退学。総合地球環境学究所教授。専門は農業土木。
著書『水をめぐる人と自然』(有斐閣)『地球温暖化と農業』(編著、昭和堂)ほか。
★定価、920円(+税) 発行・日本放送出版協会
『日本のお米、日本のご飯』 【 お勧めの本 】
世界中どこの国でも「主食」という長い伝統につちかわれた食べ物を中心に毎日の食生活が営まれている。その主食は、その国にとって一番気候風土に合った食べ物であり、食べる人の体質に適合したものであり、長い年月にわたり祖先からの智恵が込められ栽培法も数々のノウハウが伝えられている。
だからどこの国でも主食の需要が減ることはないし、まして交替することはあり得ない。ところが、戦後一貫してわが国では主食である「お米」の消費が減り、しかも食糧の輸入が増えて自給率が先進国最低の国となってしまった。食べ物が店頭にはあふれ、一見豊かそうに見えるが、食べ物に対する考え方が「命をはぐくむ大切なもの」から、「食欲を満たすだけのエサ」という風に考える人が増えているのではないだろうか。
政府は最近になって『食育』を提唱し、自給率の向上を言い始めたが、国民の関心はそう高いように見えない。しかし、以前より『食』に対する意識は徐々にではあるが変化の兆しも出てきている。本書のような『お米、ご飯』に対する啓蒙書が発刊されたのは、今ここで何とかしなければという無意識の領域で衝動が書かせたものではないかと思える。
一般家庭での「お米」が持っている意味、取り扱い方、料理法、取り扱い方、お米を造り出す日本の気候風土の美しさ等々、数多くの写真と説明で、「お米」とは、これほど多様多彩な食べ物であったかを、いまさら思い知らされる。
普段、お米は「ご飯」に炊いて、副食で食べるという思い込みがあるが、本書には「お米の研ぎ方」「洗い米」「水加減」から始まり、塩むすびから焼きむすび、季節のまぜご飯、どんぶりもの、寿司(和風、洋風)、お弁当、お粥シリーズ、茶漬け、チャーハンなど中華や洋風に至るまで、お米料理の多彩さを再発見することでしょう。
これ一冊あれば、季節を問わず、副食をいろいろ考えることもなく、そのご飯に合った副食の作り方も添えてあるから、いろいろなバュリエーションを楽しめるとと共に、日本の「米文化」の奥深さに改めて知ることになります。もちろん、日本中どこでも利用できる食材を使っての料理ですから、各地方の独特の「米文化」が残っている料理を含めれば、本書の何倍にもなるでしょう。
日本の「米文化」の凄さを見直す機会として、ぜひ若い女性や若い主婦に必携、必読して頂きたい一冊です。
★著者・土井善晴(どいよしはる)
1957年大阪市生まれ。料理研究家「おいしいもの研究所」主宰。
スイス、フランス で西洋料理を学んだが、大阪の「味吉兆」で日本料理を修。 料理研究家の父、土井勝の遺志を継ぎ、「清く正しくおいしい日本の家庭料理」を提案する。テレビ、雑誌、レストランのメニュー開発など幅広く活躍。
『日本の家庭料理独習書』(高橋書店)、『土井家の一生もん2品献立』(講談社)など著書多数。この『日本のお米、日本のご飯』は、日本の主食であるお米の素晴らしさと、それを大切にしてきた私たちの祖先の思いを伝えたい、という趣旨で自身が企画した本。
★定価、1,800円(+税) 発行・講談社
『9割の病気は自分で治せる』 【 お勧めの本 】
本のタイトル9割という数字にいささか驚く人は多いでしょう。素人ならともかく、本職の医師が書いてあることだから、何か根拠のあることに違いないと思い、読み進むうちに、現在の医療体制の矛盾から由来していることがわかる。
推薦者の桐島洋子さんが「ここまで言っていいのか?」と心配しているが、医師とはいっても、現在は開業医、勤務医等の医療体制に組み込まれていない立場なので、自由にものが言えるのではないだろうか。とはいえ体制に組み込まれていたら、たちまち厚生労働省からは「異端者」、仲間うちからは「袋叩き」にされるに違いない。
9割の根拠、著者の病気カテゴリーを要約すると、(1)医者が関わっても関わらなくても治る病気。(2)医者がいないと治らない病気。(3)医者がいても治らない病気、に分類されるといいます。著者の体験によると95%以上の患者さんがカテゴリー(1)に属するという。開業医、病院勤務でも70~95%がカテゴリー(1)に属する患者さんで殆ど占められ、むしろカテゴリー(2)に属する患者さんが追いやられているのではないかとさえ思えるとの事です。
なぜそのような現象が起こるのかは、本文中に体験を通して書いてありますが、著者の言うカテゴリー(1)の病気は、感冒(風邪ひき)、高血圧、糖尿病、高脂血症、痛風、心身症、うつ、腰痛、肩こり、頭痛、便秘、不眠、肥滿、ぜん息、アトピーなどを指しています。
これらの病気は、自分で治せる病気であり、今まで刷り込まれた病気の常識に対する間違い、なぜ医療相談をするのか、東洋医学の「未病」を治せば「病気にならない」等、当「医食同源」ブログでも主張している事と共通点が非常に多いのです。
病気が治るということは、具体的にどうすればよいのか。慢性疾患には根本治療が不可欠など、自己治癒力を高めるためのいろいろな方法が示されています。「姿勢」「呼吸」「食」「ツボ刺激」「歩行」「睡眠」など、お医者さんの世話にならなくても自分で治せる方法が提案されています。医療への依存心が中々抜けきれない方は、ぜひ一度お読みください。「目からウロコ」が落ちるのではないでしょうか。
特に「がん」に対する医療相談には力を入れ、ホームページ上からも問い合わせ出来るようです。悩んでいる方や、教えて上げたい方がいたら、こちらから入れます。
文中、自分で出来る簡単な気功『易筋功』(いきんこう)は、スタッフの牟(む)先生が動画で分かりやすく解説しています。古典的な武道気功「易筋経」から、やさしい部分を抜粋して再編したものと思います。
文庫本で価格も安いのですが、中身は充実、価格以上の付加価値が多い一冊です。
★著者・岡本 裕(おかもとゆたか)
1957年大阪市生まれ。e-クリニック医師。医学博士。大阪大学医学部、
同大学院医学部卒。卒後12年あまり、大学病院、市中病院、阪大細胞工学
センターにて主として悪性腫瘍(がん)の臨床、研究に勤しむ。
1993年、従来の医療、医学の考え方と手法に限界を感じ、臨床医を止める。
阪神淡路大震災をきっかけに仲間とNPO法人「21世紀の医療と医学を考える会」
を立ち上げる。健康情報の発信、医療セミナーの開催等の活動。
現在まで2400名のがん患者の医療相談に応える。
著書に『死の宣告からの生還』(講談社)、『がん完治の必須条件』(かんぽう)等。
★定価、571円(+税) 発行・中経の文庫本
『ぬれマスク先生の免疫革命』 【 お勧めの本 】
昔から「風邪は万病のもと」というが、東洋医学では季節を問わずどんな病気も初期は風邪の症状を示す時期があるので「万病のもと」と認識していた。風邪やインフルエンザは寒い季節の病気と考えられているが、季節により増減があるだけで事実上の年間病である。そして、インフルエンザというと、何か特別な怖い病気と情報が刷り込まれているが、風邪の症状を起こすウィルスのひとつにしか過ぎません。
医師にしても、風邪とインフルエンザの違いを直ぐに区別、診断するのは容易でないといわれています。
著者は歯科医であるが、学生の頃はガンの細胞培養学専攻という変わり種。開業してからも自身でよくひいた風邪に悩まされ、悪戦苦闘の末「免疫と自律神経」の関係に行き着き、風邪を免疫力から考えて、予防と治療に「ぬれマスク」という方法を編み出した。
「ぬれマスク」は、簡単、安全、安価な方法で、目的は口呼吸を矯正し、正しい鼻呼吸に戻すものです。当ブログでも以前から「口呼吸をしない」「体を冷やさない」「寝相をよくして骨休め」を提唱してきました。しかし、「口呼吸をしない」といっても具体的にどうするかという場合、専門医でお金を払えば良い方法はいろいろありますが、簡単、安全、安価という方法は中々ありませんでした。
もちろん今まで推奨して来た「鼻洗浄、塩水うがい」は簡便、安全、安価な方法のひとつです。ただ、夜間就寝中のよい方法としてこの「ぬれマスク」法は推奨に値します。著者は、もうひとつうがいでなく、口に微温湯を含み、ブクブク・ゴックンで咽頭を湿らせることを推奨していますが、うがいとどちらが好いかは、少し実践して経過を見ないと今は何とも言えません。
「ぬれマスク」は、簡単だからといっても、医学的な裏付けと経験から実証済みの方法ですから間違いありません。早速、ドラッグテトアでガーゼマスクを購入して実験してみたが、マスクを鼻まで覆うわけではないので呼吸も楽である。(簡単とはいっても方法の詳細は本書をご参照下さい)更に、きちんと鼻で呼吸すると上気道の免疫力がアップすること、口呼吸の弊害が詳細に書いてある。
風邪・インフルエンザについては、予防ワクチンと治療薬の効果について大いなる疑問を提示し、その論拠が述べてある。「たかが呼吸、されど呼吸」ここを正せば、実は色々な思いがけない病気が治り、予防されていることがわかる。「ぬれマスク」は、その意味でも実用的でいろいろな効果が期待できる。
「鳥インフルエンザ」のような新型インフルエンザでも本書に述べてあることが理解できれば、必要以上に怖がることではない事が分る。簡単な方法だけに「論より証拠」すぐ実践出来ることなので、家庭必携の一冊として推奨いたします。
★著者・臼田篤伸(うすだとくのぶ)
1945年長野県生まれ。東京医科歯科大学歯学部大学院修了。歯学博士。
ガンの細胞培養学専攻。東京厚生年金病院歯科部長を経て、1976年
川口市にて歯科医院開業。かたわら風邪、ガンの研究に取り組む。
著書に『さらば風邪薬』(三一書房)、『こんなる効くぞぬれマスク』『抗ガン剤は
移転促進剤』(共に農文協)
★定価、1,200円(+税) 発行・ポプラ社
『落語家はなぜ噺を忘れないのか』 【 お勧めの本 】
初めて落語を聞いたのは小学校1~2年の終戦後であった。戦前からあった蓄音機でザァーザァー針音がするSPレコードだった。柳家金語楼の「兵隊もの」シリーズが何枚かあり、何十回も繰り返し聞いた記憶がある。小・中学生時代はもっぱらラジオで聞いた。
途中違う方へ目が行った時期もあるが、二十歳代の数年は正月になると「上野・鈴本」へ通った。そこで晩年の黒門町の師匠といわれた八代目・桂文楽の高座を大トリで何回か聞いたことがある。端正な顔つきと江戸弁は正統派の噺家(はなしか)らしい。残念ながら何回行っても奇才といわれた古今亭志ん生の高座を聞く機会がなく、もっぱらラジオで聞くほうが多かった。当時、まだ月の家圓鏡(現・橘家圓藏)、三遊亭円楽、三遊亭歌奴(現・円歌)、立川談志等は若手であり、先代の円歌や柳家小さんがベテランの域に入った頃だった。
近年の落語家で天才と言えるのは志ん生の息子・古今亭志ん朝に尽きるであろう。テレビドラマ(白黒時代)の中で一席伺っているシーンを初めて見たとき、噺のスピード、テンポ、歯切れのよさ、正当な江戸弁、どれをとっても凄い落語家が出て来たもんだと驚いた。後で志ん生の息子と知ったが、名実共に志ん生の名跡を継げると思ったが天才は早死にだった。
ところで、常々思っていた事に落語家は、年をとっても何十、何百という噺(はなし)を忘れず、しかも同じ噺の語り口が年齢とともにうま味を増し、味が出てくるのは何故だろうか、という事だった。しかも相当な高齢まで高座を勤め、ボケルこともない。
本書の著者は、人間国宝・柳家小さんが祖父であり、師匠である。小さんはどちらかと言えば才でなく努力型で、年齢と共に実力をつけて行った人であると思う。むしろ孫の花緑のほうが才を感じさせる。俳優さんやタレントは、台詞を強制的に詰め込むが、その映画やドラマが終われば忘れてしまうという。それは、脳に強制的に記憶させるから忘れるのも早く、また他の役の台詞を覚えなければならぬという事に関係があるかと思う。落語家の噺はアタマ(脳)で覚えるというより、体で覚える(身に沁みる)という作業ではないかと思う。だから、繰り返し反復し、腹に納めてそしゃくする中に噺に味が出てくる。
似たような事に「門前の小僧、習わぬ経を読む」という諺があるが、お坊さんの読経もアタマで記憶するものでなく、身につけるものではないかと思う。両者に共通するのは、高齢になっても「雀百まで踊り忘れず」と、少しも衰えないことである。
身に染みるまで体にたたき込むというのは、日本の伝承技能、芸能に共通することであり、現代の勉強法、記憶の良い学生だけが良い成績をとり、入学試験に受かるシステムは生理学的にも感心しない。
本書は、若手落語家の中では文も立つ有望株である。また、落語家の家に生まれ、伝統芸の家風で育っただけ自然と身についたものもある。落語好きが常に疑問に感じていた「なぜ、噺を忘れることがないのか」という疑問にうまく答えていると思う。一般人の老化防止にも役立つ一書ではないかと思いお薦めするものである。
★著者・柳家 花緑
本名・小林九(こばやしきゅう)1971年東京生まれ。
昭和62年(1987年)3月、祖父で人間国宝の五代目・柳家小さんに入門。
前座名・柳家九太郎、昭和64年二ツ目に昇進して小緑(ころく)。
平成6年(94年)3月、22歳で真打ちに昇進して花緑(かろく)。
2003年に落語界の活性化を目指し結成された「六人の会」(春風亭小朝・
笑福亭鶴瓶・林家正蔵・春風亭昇太・立川志の輔)メンバー。
★定価、800円(+税) 発行・角川SSC新書
『日本の食は安すぎる』 【 お勧めの本 】
食料の自給率や食品の国内産ということに消費者の関心が以前と比べ物にならないほど高まっている事は間違いなの事実である。
全農(全国農業協同組合連合会)でも大きく新聞広告で「私たち全農グループは、生産者と消費者を安心で結ぶ懸け橋になります」とか「地産地消にこだわることで、食の未来が変わります」などキャンペーンを打っているが、建前と実情のギャップを多くの消費者は感じるのではなかろうか。
「地産地消」自体は結構なことではあるが、何かキャッチフレーズがご都合主義的に利用されているのではなかろうか。化学肥料や農薬の投与が長年にわたっている農産物が、安全性において、安心して食べられるかは別問題である。
私の知っている限り、農協という組織に組み込まれる事から脱皮して「有機農法」「無農薬農業」を目指した農家は、自前の販売ルート開拓や、価格が高い安いの問題、ときには消費者エゴともぶつかり大変な苦労を強いられているのが実情である。農協傘下の普通の農家も近年はアメリカ流価格破壊ビジネスが、農産物流通に持ち込まれ輸入農産物との価格競争には苦労している。
バブルがはじけて以降の20年近く、食品は「安くてよいもの」という流れで、流通も「価格は消費者が決める」という大義名分で生産者や加工業者に低価格を要求してきた。消費者も「安くて良いのが当たり前」という消費者至上主義に悪のりして来た感がある。
しかし、良い品物、まともな生産者が真っ当なものを作り、適正な価格で売ろうと思ったらそんなに安くはできない、というのが常識でわかるはずである。本文中「安いってことは、どこかにしわ寄せがいっているてことだよ。で、どこにそのしわ寄せがいくかといえば、食品の場合は、だいたい人の身体さ」という言葉は、いみじくも著者の考えを端的にあらわしていると思う。
農協の傘下に入らず自主独立路線を貫いて来た「有機農法や無農薬栽培」を標榜してきた農家は、現在でこそグループ化したり、農業法人組合を作ったりして、生産と販売の仕事分担が出来るようになったが、今から30年位前の農家は流通ルートの開拓に苦労した。どんな業界でも「良いもの」を作れば黙って売れるなどは幻想である。学生時代から農業に携わり、青果流通の仕事を裏表から見てきた著者だからこそ、生産者と消費者を結びつけるコンサルタントに使命を感じていると思う。
まともな感覚をもった消費者ならば「安すぎる」という逆説的な言葉の意味を理解できるであろうが、本書は食品の流通について、知られざる内情も書かれている。消費者としてわきまえでおいたほうが良いことが数々あり、流通の実情について中々伺いしれないことが多々あり勉強になる。
本書以外にお薦めは著者が書いているブログがある。知る人ぞ知る有名なブログらしいが、内容豊富でこれが面白い。全国各地の生産者との交流、いろいろな食材の紹介もあるが、東京を始めとする全国の料理や料理人のブログは、「ミシュランガイド」より親しみやすく、論評は料理に対する造詣の深さを感じさせる。単なるグルメブログとは一線を画するものと思う。カメラにも凝っていて、料理写真としては秀逸、ただ、大きい写真だけに、すぐ開かずちょっと重いのが玉にキズ。料理の写真はプロでもきれいに撮るのは難しい。写真だけを見ても楽しいブログである。
★著者・山本謙治
1971年愛媛県生まれ。慶応義塾大学環境情報学部、同大学院修士課程卒。
在学中に、畑サークル「八百藤」設立、キャンパス内外で野菜を栽培する。
㈱野村総合研究所、青果流通の㈱シラフを経て、2005年㈱グッドテーブルズ
を設立。農産物流通コンサルタントとして活躍中。
著書『やまけんの出張食い倒れ日記 東京編』アスキー社
『実践、農産物トレーサビリティ』誠文堂新光社
★定価、800円(+税) 発行・講談社新書
『野菜が壊れる』 【 お勧めの本 】
このところマスコミも消費者も食品に関わる事件が輸入食品にばかり目が行っているようだこが、それでは国産品なら大丈夫かというと「灯台もと暗し」輸入食料の陰に隠れて問題が顕在化しないだけで、従来からの安全に関する問題はまだ進行形であることが本書によって明らかにされている。
では、何が問題なのかというと、一つには野菜の栄養価が、「日本食品標準成分表」のデータで平成12年(2000年)では昭和25年(1950年)比ほうれん草でビタミンC4分の1、鉄分で7分の1、昭和57年(1982年)比でもほうれん草ビタミンC35%減、鉄分で半減となっいます。60年前の野菜と見た目は同じでも栄養価は落ちている。高度成長時代の昭和57年(1982年)比でも、ビタミンC4で40%減、鉄分で2分の1ですから、農土として土が死にかけているという事です。他のあらゆる野菜にしても、栄養価がなくなっているのはもちろんですが、年配の方にとっては、香りも味わいも昔の野菜とすっかり違ってしまったと感じている方は多いのではないでしょうか。
これは何かと言ったら戦後の農業に導入され大量に使われた化学肥料が原因ですね。化学肥料を使用すれば土の中の自然生態系が破壊され、害虫が増え、いろいろな作物の病気が現れるから農薬を使用するという悪循環に陥ります。
著者は、大手の農機具会社で農業機械技術や營業企画に携わった経緯から、全国の農家の実情を把握していることがわかります。戦後の農家は、農協という組織によって技術指導、産地指定、種の購入、化学肥料、農薬、農業機械の購入、出荷、販売に至るまで組み込まれてしまいました。それどころか、生活用品、家電製品、自動車、保険、旅行にいたるまで気がついたときには多額のローンなどでもガンジガラメされていたわけです。
ではそのような仕組みは農協自体が考え出したのかというと、その背景には日本の戦後高度成長時代、産業構造がもたらした国策の一環であった事が本書から読み取れます。石油化学工業の副産物、自動車産業、製鉄工業の産業廃棄物が化学肥料の原料です。つまり、これらを肥料として売れば一石二鳥の利益とコストダウンになる産業側と、廃棄物処理場として利用される農業という図式が国策として描かれたと読み取れます。
長年日本の農地を化学肥料漬け、農薬まみれにして行き着いたところの一つが亜硝酸態窒素の問題です。野菜の殘留亜硝酸塩については、
で紹介しています。
本書は、その影響が日本の酪農、畜産にまで深刻な影響を及ぼしていることに言及していますが、最終的には国民・消費者がどれだけ深く関心を持ち、どのように対応するかにかかっていると思います。「まだ、間に合う」と結論づけていますが、輸入食品の危険性をあげつらう風潮に流されず、自国の実情も「脚下照顧」、国内農業の現状を知り、将来を展望する上で参考になる一冊と考えます。
★著者・新留勝行
1943年鹿児島県生まれ。農業研究者、鹿児島県立南大隈高等学校卒。
鹿児島県立拓殖講習所へ入所アメリカへ農業研修生として派遣さる。
株式会社ジェム設立、同社代表取締役会長。
★定価、700円(+税) 発行・集英社新書
