『落語家はなぜ噺を忘れないのか』
初めて落語を聞いたのは小学校1~2年の終戦後であった。戦前からあった蓄音機でザァーザァー針音がするSPレコードだった。柳家金語楼の「兵隊もの」シリーズが何枚かあり、何十回も繰り返し聞いた記憶がある。小・中学生時代はもっぱらラジオで聞いた。
途中違う方へ目が行った時期もあるが、二十歳代の数年は正月になると「上野・鈴本」へ通った。そこで晩年の黒門町の師匠といわれた八代目・桂文楽の高座を大トリで何回か聞いたことがある。端正な顔つきと江戸弁は正統派の噺家(はなしか)らしい。残念ながら何回行っても奇才といわれた古今亭志ん生の高座を聞く機会がなく、もっぱらラジオで聞くほうが多かった。当時、まだ月の家圓鏡(現・橘家圓藏)、三遊亭円楽、三遊亭歌奴(現・円歌)、立川談志等は若手であり、先代の円歌や柳家小さんがベテランの域に入った頃だった。
近年の落語家で天才と言えるのは志ん生の息子・古今亭志ん朝に尽きるであろう。テレビドラマ(白黒時代)の中で一席伺っているシーンを初めて見たとき、噺のスピード、テンポ、歯切れのよさ、正当な江戸弁、どれをとっても凄い落語家が出て来たもんだと驚いた。後で志ん生の息子と知ったが、名実共に志ん生の名跡を継げると思ったが天才は早死にだった。
ところで、常々思っていた事に落語家は、年をとっても何十、何百という噺(はなし)を忘れず、しかも同じ噺の語り口が年齢とともにうま味を増し、味が出てくるのは何故だろうか、という事だった。しかも相当な高齢まで高座を勤め、ボケルこともない。
本書の著者は、人間国宝・柳家小さんが祖父であり、師匠である。小さんはどちらかと言えば才でなく努力型で、年齢と共に実力をつけて行った人であると思う。むしろ孫の花緑のほうが才を感じさせる。俳優さんやタレントは、台詞を強制的に詰め込むが、その映画やドラマが終われば忘れてしまうという。それは、脳に強制的に記憶させるから忘れるのも早く、また他の役の台詞を覚えなければならぬという事に関係があるかと思う。落語家の噺はアタマ(脳)で覚えるというより、体で覚える(身に沁みる)という作業ではないかと思う。だから、繰り返し反復し、腹に納めてそしゃくする中に噺に味が出てくる。
似たような事に「門前の小僧、習わぬ経を読む」という諺があるが、お坊さんの読経もアタマで記憶するものでなく、身につけるものではないかと思う。両者に共通するのは、高齢になっても「雀百まで踊り忘れず」と、少しも衰えないことである。
身に染みるまで体にたたき込むというのは、日本の伝承技能、芸能に共通することであり、現代の勉強法、記憶の良い学生だけが良い成績をとり、入学試験に受かるシステムは生理学的にも感心しない。
本書は、若手落語家の中では文も立つ有望株である。また、落語家の家に生まれ、伝統芸の家風で育っただけ自然と身についたものもある。落語好きが常に疑問に感じていた「なぜ、噺を忘れることがないのか」という疑問にうまく答えていると思う。一般人の老化防止にも役立つ一書ではないかと思いお薦めするものである。
★著者・柳家 花緑
本名・小林九(こばやしきゅう)1971年東京生まれ。
昭和62年(1987年)3月、祖父で人間国宝の五代目・柳家小さんに入門。
前座名・柳家九太郎、昭和64年二ツ目に昇進して小緑(ころく)。
平成6年(94年)3月、22歳で真打ちに昇進して花緑(かろく)。
2003年に落語界の活性化を目指し結成された「六人の会」(春風亭小朝・
笑福亭鶴瓶・林家正蔵・春風亭昇太・立川志の輔)メンバー。
★定価、800円(+税) 発行・角川SSC新書
